謹んで年頭の御挨拶申し上げます 本年も「胡蝶の見果てぬ夢」をどうぞよろしくお願いいたします。 2011年1月 摸捫窩 |
2011年の年賀状は因幡てゐさんと姫海棠はたてさん。 兎と烏はそれぞれ月と太陽を象徴するので、併せて過ぎ行く歳月を意味します。よく考えると、卯年とはいえ、賀状としては余り相応しくないかもしれないですね。 詞書は幾つかの漢詩からその一部を採りました。 まずは陶淵明の「帰去来辞」より 善万物之得時(万物の時を得たるを善[よみ]し) 感吾生之行休(吾が生の行くゆく休するを感ず) 「帰去来辞」は“帰りなんいざ”で始まる陶淵明の代表作です。上記はその一節で、“この世界の全てのものが時節を得ていることに喜び、その一方で自らの命のやがて終わり行くことを感じている”という意味です。これは儚い人生への嘆きの言葉ですが、そうした避け得ない運命を認めた上での新たな生き方への希望へつながる句でもあります。この詩は最後には「夫の天命を楽しみて復[ま]た奚[なに]をか疑はん」と結ばれるのですから。 続いては李白の文章「春夜桃李の園に宴するの序」の一節から 夫天地者、万物之逆旅(夫れ天地は、万物の逆旅[げきりょ]にしして) 光陰者、百代之過客(光陰は、百代の過客なり) 而浮生若夢、為歓幾何(而して浮生は夢の若[ごと]し、歓を為すこと幾何[いくばく]ぞ) “いったい、天地はあらゆる物が身を寄せる仮の宿であり、時間は永遠の旅人である。儚く漂う人の命はあたかも夢のようで、歓びを尽くす時などどれほどあろうか”。古来良く知られた文章で、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭には「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」とあり、また井原西鶴の『日本永代蔵』の冒頭にも「されば天地は万物の逆旅、光陰は過客」とあります。芭蕉も西鶴も江戸期の代表的な文学人であり、李白の文章の影響力がうかがえます。 人生の儚さ、無常観を見事に表現した文章です。胡蝶の夢ではないですが、人生を夢と見做す、『荘子』的な思想が感じられます。 次にある「兎走烏飛」は「烏兎匆匆」と同じで、月日が早く過ぎ去ることを意味しています。要するに月を象徴する兎と太陽を象徴する烏の組み合わせで歳月を表すというわけです。 次は再び陶淵明で、“歳月は人を待たず”の句でよく知られている「雑詩」(十二首のうち第一)の一節より 盛年不重来(盛年、重ねて来たらず) 一日難再晨(一日、再び晨なり難し) これは格言としても良く知られた詩です。意味は“若く、元気盛んな頃は二度とは来ず、一日のうちに朝が再び訪れることもない”といったところですね。 最後は『楽府詩集』(漢時代)にある挽歌「薤露歌」の一節からで 露晞明朝更復落(露は晞[かわ]けども明朝更に復た落つ) 人死一去何時帰(人は死して一たび去れば何れの時にか帰らん) 人の命の無常さを歌ったもので、この部分は“露はたとえ乾いても翌朝になればまた降りてくる。しかし、死んでしまった人はいった何時戻ってくるのだろうか、いや、永遠に戻ってはこないのだ”という意味です。 ちなみに、分かり難いですが、てゐさんが左手に持っているのは卯槌です。 そんな訳で、余り新年を寿ぐ内容では無い気もしますが、まあいつものことですし、今年はちゃんと兎もいるということでご容赦願いたく思います。 では、皆様にとって、本年が素晴らしい年となりますように。 |