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節分は季節の境目 豊かな実りを約束し 恩寵与うが我が役目 たとえ豆を以て追われる姿を取ろうとも 追われ逐われて春を呼ぶ 春来る鬼は福の神 祝福与える春の使者 |
春に訪れる福鬼たる伊吹萃香さん。 至る所で豆で追われている感じがなんか哀れなので、ちょっと違う感じに。 節分儀礼に登場する「鬼」たちは、単に疫病や災いを身に引き受け、逐われるものばかりではありません。邪気を祓い、福をもたらすものもいるのです。そのような「鬼」は現在でも、国東の鬼会、花祭りの鬼、西浦田楽などにみられます。榊鬼、荒平、災払鬼など、様々な名前がありますが、何れも悪しきモノを切り祓い、周囲を踏み鎮める者達です。 男鹿のナマハゲのような、「季節の変わり目」に家々を訪れる怖ろしい容姿の者達も、このような祝福をもたらす神と言われています。また、京都八坂神社(祇園社)の福鬼は蓬莱島より訪れるとされ、春を告げ祝福を与えます。 彼等は年神の性質を持ち、春の使者たる来訪神というわけです。 と言う訳なのですが……。 実はこの鬼=祖霊論については追記が必要です。「ナマハゲの鬼」などの表現で割と一般化している話なので、私もこれまで特に疑問もなく信じてきたことなのですが。 鬼=祖霊論は、マレビト論などとも関連してよく語られますし、通俗書などにもしばしば見られる説だと思います。そのため、私なども結構何気なく「祖霊としての鬼」、とか「来訪神としての鬼」などと書いてしまうのですが、実のところ、このような認識には問題があります。このような鬼の認識は主に折口信夫の研究に拠るものなのですが、現在では疑問の多い仮説とされているようです。折口信夫の学説全般の持つ問題なのですが、理念(というかこうあるべきとの信念に近いもの)先行で歴史的・民俗学的事実と食い違う点が多いのです。春来る鬼の論も、翁の誕生もマレビトも、実際の所は折口によって“創造”されたものというのが正しいのではないでしょうか。 民間に伝わる「鬼」は、追儺儀礼やそれを取り入れた仏教儀礼(修正会)の地方伝播によって生まれたと考えられています。ナマハゲに用いられる「鬼のような」怖ろしい面はむしろこうした伝播してきた文化の影響なのかもしれません。他にも様々な議論がありますが、本来は祖霊たる来訪神と「鬼」とは異なるものだったと思われます。鬼が本来祖霊であり、時に村々を訪れる良き神霊を指したという折口説には、明確な証拠がありません。彼はナマハゲ神事などを間接的証拠としていますが、より詳細に見て行くとこれも極めて不確かなものです。海外の「追儺儀礼」との比較からも、彼の学説が不適切であることが指摘されています。 折口説への反論・批判については、谷川健一、諏訪春雄、小松和彦らの著書を参照のこと。 折口説は内容が美しく壮大であったことからか、あるいは彼を神聖視するが如き弟子達が居た為か、かなり流布し、一般化しているようです。私自身も鬼についての解釈などは、ずっと疑問を持つこともありませんでした。もしかすると折口学徒達が「春来る神」を「春来る鬼」にしてしまったのかもしれません。 専門外のことを語るのは難しいものです。 |