静葉姫命

静葉姫命

 静葉姫命       静寂の秋を司り給ふと云ふ
  夏去り陰の気兆し冬へと至る也
  野も山も色移りゆきて止まることなし
  されど美しき紅葉の錦は
  神々さへもまたこれを喜ぶと伝ふ
  落つる紅葉は切なくも美しき赤き雨
  哀し寂しき秋の景色なり
    さびしさはその色としもなかりけり
    真木たつ山の秋の夕暮
 切なくなる赤き雨こと、秋静葉嬢です。
 
 双子の神様のお姉さんの方ですね。妹の秋穣子嬢と共に秋を司る神様ですが、実りの秋を象徴する妹に対して寂しさと終焉を象徴するとされます。

 秋の持つ特徴のうち、満ちていた生命力が次第に衰え行くさまを表す存在というわけです。秋になると鮮やかに山々を彩る紅葉ですが、その散り様が美しければ美しいほど、秋の寂しさや哀しさも際立つのでしょう。この紅葉としい、春の桜といい、私たちは単に美しいというだけでなく儚く“散りゆく”ものが好きなようです。
 ところで我が国では、紅葉は万葉集以来多くの和歌に詠まれるなど古来から愛され親しまれてきました。紅葉狩りは秋の行楽として古代から今に至るまで高い人気を誇ります。紅葉の愛好は品種改良にもつながり、江戸時代から明治時代にかけて、200以上の楓の新品種が作り出されたそうです。
 紅葉の美しさは『万葉集』や『古今和歌集』、『源氏物語』などの古典にも頻繁に登場します。そして菅公の有名な「
紅葉の錦神のまにまに」の歌などのように、しばしば神様に関わる形で登場するのですが、私の知る限りでは直接的に紅葉を司る神様というのは見当たらないようです。樹木の神様は幾柱もおられるのですがね。何れも、素材・材料としての“木材”の神様であって、林業や大工といった産業や技術者集団の守護者としての性格が強いようです。

 詞書きの末尾の和歌は、有名な三夕の歌の一つ、『新古今和歌集』に採られた寂蓮法師の歌です。寂蓮(?〜1202)は俗名藤原定長、一時藤原俊成の養子となっていました。俊成に実子定家が生まれたために三十余歳で出家します。新古今集の撰者となりますが、その完成を待たずに亡くなっています。百人一首の一字決まりの歌の筆頭でも知られていますね(「
村雨の〜」)。新古今集をはじめ、勅撰集に117首が採られています。
 この歌は秋の情景を詠った著名な和歌ですね。ちょっと我流のインチキ解釈を入れてみると、意味は大体 “秋の山は様々な色で溢れるているが、特にどの色が寂しいというものでもない。さりながら、立派な木の立っている山の夕暮れというものは言いようも無く寂しいものだ” のような感じでしょうか。もっとも、この歌での「色」は色彩の意ではなく、仏教用語での色(しき)を踏まえたもので、実態ある総ての「もの」と捉えるべきなのでしょうけれども。
 どうでも良いことですが、紅葉は現在では「もみぢ」ですが、上代は濁らずに「もみち」と読んでいたらしいですね。ちなみに「紅葉」や「紅葉の錦」、「紅葉狩り」は秋の季語ですが、「紅葉散る」は冬の季語です。

 さて、絵柄は基本的には鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』の百々爺(ももんじい)です。まあ、この妖怪はモモンガーなどと同類でバケモノの一般名詞みたいなものなのですが。持ち物などは新羅明神のような護法神系統の神像を参考にちょっと変えてみました。それにしても単色で秋の紅葉を表現するのは難しいです。まだまだ駄目で、全く修行が足りません……。

 紅葉燃える秋は、美しくも死の影が差す季節です。しかし、一方で再び命を生み出すための準備に入る季節でもあります。木々が色づいた葉を落とすことさえ、暗く寒い冬を乗り越えて春に再び生命を燃やすための行為なのですから。
 そう、ですから散り行く紅葉の美しい色は、生きるために犠牲となる葉に対する最後の贈り物なのかもしれません。


参考文献
  高田衛監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』1992国書刊行会
  下中弥三郎編『神道大辞典』平凡社1937(1970複製2版)
  田中裕・赤瀬信吾校注
『新古今和歌集』(『新日本古典文学大系11』)岩波書店1992
  田辺聖子『田辺聖子の小倉百人一首』角川書店1987
  国史大辞典編纂委員会『国史大辞典』吉川弘文館1987
 ほか


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