伊吹童子 伊吹萃香

伊吹童子

 伊吹童子   かつていましし 捨て童子
疫癘払ひし 鬼神(かみ)ぞかし
人に騙され謀られ
此世を追はれし山之神
失はれし力 今いづこ
 萃まる夢、幻、そして百鬼夜行こと、伊吹萃香嬢です。
 鬼ですよ、鬼!
 個人的三大日本妖怪(鬼・天狗・付喪神)のひとつです。
 少なくとも言葉(慣用句)の中には数多く生き残っていますね。知名度という点では、現在でも“あちら”と違い大きな存在なのではないでしょうか。
 実際の所は、様々な要因(祖霊、亡者、地獄の獄卒、被征服民などなど)が複雑に重層しており、極めて多彩かつ難しい妖怪であるように思われます。
 鳥山石燕の画図百鬼夜行のシリーズでも、鬼および鬼に関する妖怪は数多く描かれています。直接的に鬼を描いた「鬼」、「酒顛童子」、「鬼一口」、「羅城門鬼」、更に鬼女を描く「黒塚」、「橋姫」、「般若」、「紅葉狩」があります。その他にも、鬼と関わりがあると思われるものに「苧うに」、「元興寺」、「牛鬼」、「百々目鬼」、「道成寺鐘」、「燈台鬼」、「青行燈」、「鬼童」があります。それだけメジャーな妖怪であった事がうかがえます。
 鬼に関しては、面白いことがたくさんあるのですが、それ全部を書いていたらおそらく本が一冊書けるくらいの分量があると思われますので、ここでは少し特殊な話のみを。
 酒呑童子の名の由来は「捨て童子」であるという説があります。異常出生と鬼との関わりや、「童子」の哀しき宿命については、紙数が足りませんので、柳田國男『山の人生』や佐竹昭広『酒呑童子異聞』を是非読んでみて下さい。
 また、有名な話ですが、大江山の酒呑童子の出生地には様々なヴァリエーションがあります。その中で伊吹山の出身という系統があります。伊吹明神の申し子として生まれた子供が、人間の社会から排除され、何時しか大江山へたどり着いたというものです。伊吹明神は八岐大蛇であると伝えられ、酒呑童子の酒好きもそこから来ているとか。また、越後出身という伝説もあり、この場合は戸隠山の九頭龍権現の申し子であったとされます。どちらも龍神との関わりを伝える訳ですが、龍神は暴風など自然の力を象徴するものとも考えられます。すると、その血を受けた童子が住処を逐われ征服されるさまは、人間が自然を征服してゆく過程になぞらえる事ができましょう。現在から見て、人を喰らう鬼達よりも、むしろ人間側の方が醜悪に見えるのは、そうした驕りが感じられる為かもしれません。
 さらに、各地の鬼達は王権に逆らったまつろわぬ民のことでもありました。大江山や伊吹山の鬼(或いは神)もそうした被征服民であったのかもしれません。何れにせよ、鬼の伝説はしばしば古き山の神々や土着の民の悲哀を感じさせます。

 結局酒呑童子は、友として扱ったはずの山伏姿の人間(源頼光達)に騙し討ちにされます。その時の言葉が痛烈に胸を打ちます。
 童子
「情けなしとよ客僧達。偽り非じといひつるに。鬼神に横道、なき物を」

 ちなみに、九頭龍を祀るのは戸隠神社奥社で、そこには天手力男命が共に祀られています。戸隠山は鬼女紅葉の物語でも知られ、鬼と関わりが深い土地なのです。

 えーと、うちの低スペックマシンでは萃夢想がまともに動かない(妖夢やパチュリーを使うと途中で落ちる)ので、人様の絵とか参考にしていたら何ともはや。背景は鳥山石燕を参考にしましたが、上記したように鬼関連の図が多くて、かえって迷いました。本当はもっとキャラクターを掴んだ上で描きたかったのですが。
 詞書き、本当は『大江山』の「霞みに紛れ、雲に乗り」を入れたかったんだけどなあ。スペースが……。

 原案
  嘗て坐しし 捨て童子
  疫癘払ひし 鬼神ぞかし
  人に騙され謀られ
  霞に紛れ 雲に乗り
  此世を逐はれし 山の神
  失はれし力 今何処


参考文献
  高田衛監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』1992国書刊行会
  佐竹昭広『酒呑童子異聞』岩波同時代ライブラリー1992
  馬場あき子『鬼の研究』ちくま文庫1988
  小松和彦『日本妖怪異聞録』小学館ライブラリー1995
  国史大辞典編集委員会編『國史大辭典』吉川弘文館1979
 ほか


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