西行 | 風になびく 富士の煙の 空にきえて 行方も知らぬ 我が思ひかな |
蓬莱の人の形こと、藤原妹紅嬢です。
歌は「山家集」より、西行が陸奥への旅の途上で詠んだ富士山の歌です。
富士山を詠った有名な歌です。
『山家集』や『新古今和歌集』の詞書きには、
「あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て」
とあります。旅の歌人たる西行らしい歌と言えましょう。
この歌が詠まれたのは奥州への二度目の旅の時と言われ、西行の晩年にあたります。
風に吹かれて何処となく消えて行く煙のように、自分の想いや迷いも行方は分からず果てしない。
しかしこの歌には、そんな複雑な思いを抱えた自分をも、そのままあるがままに認めるという態度が
表れているように思えます。悟りを求め、また歌道を極めんとした自己を客観的に見つめる視点、そ
れが旅を重ね思索を重ねた西行の到達した境地であったのかも知れません。
旅の途上で雄大な富士山を望む西行法師という情景は、「富士見西行」として好んで絵画にも描か
れました。私達は、自然と人間、永遠なるものと儚い存在など、対立する二つの存在がせめぎ合う中
に美や風情を見出してきたと考えることができます。その二者を媒介する存在が、不世出の歌人たる
西行法師であったのでしょう。
西行に関する伝説などについてはこちら。
妹紅嬢は永遠の時を生きながらも、人間達との繋がりを捨ててはいないようです。
人間達を始め生きとし生けるものは、皆彼女の傍らを通り過ぎて行きます。その中で富士山はその
姿を少しずつ変化させながらも、ずっと変わらずに存在していました。移り変わる儚き人間に対して、
変わらぬ大自然の象徴が霊峰富士であったのでしょう。
彼女のスペルに富士山が登場するのは、単に蓬莱の薬が富士山との関わりを持っているというだけ
ではないのかも知れません。
あるいは「人間であった」彼女が最後に見た景色が富士山だったのでしょうか。
一年以上間が空いてしまいました。下絵は随分前に描いていたのですが……。
この歌なら亡霊嬢のが相応しいのではとか言わないでね。
別に不死身妹紅とか言いたい訳じゃないですよ?
背景の元絵はわざわざ言及するまでもないですよね。
(ネタとしては黒妙さまと被ってます。スミマセン)