今月の御言葉

○平成19年11月

慧音先生 飛流直下三千尺
疑是銀河落九天


  日は香炉を照らして 紫烟を生ず
  遙かに看る 瀑布の 長川を挂くるを
  飛流 直下 三千尺
  疑ふらくは是れ 銀河の九天より落るつかと

  
         李白「望廬山瀑布」


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上白沢慧音 射命丸文


上白沢慧音 :今年ももう穫り入れの時期だな。
:……しかし、里では秋の祭礼は収穫祭くらいしか行われなくなってしまったようだな。
:人間は祭や儀礼を通して共同体の絆を強め、信仰心を確認する。自然への畏れも、恵みへの感謝も、そうした儀礼を通じて現実の生活と結びついてゆくのだが……。
:幻想郷でも信仰心が薄れてきているのだろうか。外の世界で信仰心が高まっているとも思えぬが……。
射命丸文 :こんにちはー。
:何かネタはないかしら?
上白沢慧音 :む。山の盗撮天狗か?
:騒ぎになるから、余り里で暴れて欲しくないのですが……。神社で遊んでいれば良いのでは?
:……まあ、最近は里でも可愛い文字を書く天狗として割と有名のようですし、問題は無いかもしれないですがね。取材くらいなら皆協力してくれるでしょう?
射命丸文 :う、それは阿礼乙女が勝手に……、って私の新聞も同じ様なものか。
:大丈夫、大丈夫、最近は人間も攫ってないし。
上白沢慧音 :最近は、って……。
:里では特に変わったことはない。ネタなら神社で集めた方が良いんじゃないの?
射命丸文 :神社は駄目よ。胡散臭いヤツが怪しい話ばかりするのですから。
:人間の里では変わったことは無いのですか。そうですか。
:うーん。里の人間では無いとは思っていたけれど、里には来ていないのかなあ?……博麗の巫女には接触したらしいんだけど。
上白沢慧音 :??
:何の話です?
射命丸文 :……あ、いや。別に大したことではないのだけれどね。
:ほら、博麗神社って、参拝客少ないでしょ。里の人間の信仰心はほとんど集められていないようだし。そんなままで良いのかって思ったことは無いかしら?
上白沢慧音 :信仰、ですか。……まあ、今に始まったことでは無いですがね。
:私は信仰心よりこの幻想郷におけるバランスが心配です。様々な力関係の微妙な釣り合いによってこの世界は成立しているのですから。
:そうですね……。信仰とは、いわばこの世界に存在する諸々の存在への敬意のようなものです。狂信は論外ですが、畏れを失うことも害が大きいと、私は思っています。
:内向きの思考ばかりが肥大してゆくとろくな事になりません。気付かぬうちに社会が崩壊するというようなことになりかねません。
射命丸文 :難しいですねぇ。私は今ののんびりした感じが維持できれば別に良いのですが。
:そうすると、山への来訪者は……………。
:あ、何でもないです。
上白沢慧音 :??
射命丸文 :(あやや………。期待した情報は無かったなぁ、でも折角来たのだから何か聞いていこうっと)
:えぇーっと。そうだ、私達の部下に九天の滝に張り付いている奴が居るんだけど、何時も暇してるのよ。何か話題というかネタは無いかしら?
上白沢慧音 :え? 九天、……滝、ねえ。
:そうだな……………。
:李白に大きな滝を詠んだ有名な詩があるな。それを紹介しようか。
:望廬山瀑布(廬山の瀑布を望む)という七言絶句です。
:日照香炉生紫烟(日は香炉を照らして紫烟を生ず)
:遙看瀑布挂長川(遙かに看る瀑布の長川に挂くるを)
:飛流直下三千尺(飛流直下三千尺)
:疑是銀河落九天(疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと)
射命丸文 :ああ、「銀河の九天より落つる……」ですね。聞いたことがあります。
上白沢慧音 :廬山は江西省九江の南にある名山ですね。古来有名な名勝です。その西北の峰の名が“香炉峰”ですね。“香炉”という語から次の紫烟という言葉が使われている訳です。
:香炉峰を日の光が照らし、紫の靄が立ち上る。遙か遠くに見えるのは、長い川を差し掛けたかのような滝の景色。飛沫を上げて真っ直ぐに流れ落ちる、その高さ三千尺。あたかも銀河が遙か九天の高みから落ちてきたかと疑われるほどである。
射命丸文 :嗚呼、美しい詩ねぇ。
:………あれ? 最後は「是れ銀河の九天より落つるかと疑ふ」と読み下すんでは?
上白沢慧音 :ええ、文法的にはそれが正確なのですが、慣習的に倒置して読みます。
:始めに山、次いで山とその中の滝、そして滝そのもの、と次第に対象をクローズアップしてゆく手法や、雄大で明快な表現などには李白の特徴が良く表れていますね。
:特に美しくも力強い三句・四句は強い印象を与えます。古来より愛唱された李白の代表作の一つと言えるでしょう。
射命丸文 :……学校では、何時もこの調子なんですか?
上白沢慧音 :え? まあ。
:―――この七言絶句では、烟・川・天が平声の先韻となっている、のです。
:廬山の標高は1474メートルだ。因みに香炉峰と呼ばれる峰は複数あり、李白の詩がどの峰を指すのかについては議論があるらしい。それから、唐代の一尺は31.1センチメートルで日本の尺とは僅かに異なる。日本では一尺は約30.3センチだ。ああ、ここでの三千尺はあくまで表現上の誇張ですよ? 白髪三千丈みたいなものね。
:そうそう、この詩は本来二首連作の内の第二首なんだ。第一首は五言古詩の形式で「西のかた香炉峰に登り、南のかた瀑布の水を見る」から始まる。そして……。
射命丸文 :あ、もう十分です……。
上白沢慧音 :ん?
:じゃあこの事だけ。“九天”には幾つか意味があるが、ここでは天の最も高い所、虚空を指す。九重天や九霄とも言う。この詩に基づく“九天直下”という熟語もあって、これは天上から地に向かって一直線に落下することを表す。
:九天には他にも宮中や天の区分を表すこともある。中央の鈞天、東の蒼天、東方句の変天、北の玄天、西北の幽天、西の昊天、西南の朱天、南の炎天、南東の陽天だな。また、七曜に恒星、宗動を加えた九つの星を表すこともある………。
射命丸文 :へー。 
上白沢慧音 :ああ、いつもの癖で……。済まない。
射命丸文 :いえいえ、参考になりました。
:文法やらは兎も角として、山中の滝が目に浮かぶような見事な詩ですねぇ。
上白沢慧音 :ええ。まさにその通り。
:―――――。
:山と言えば、貴女達天狗も、本来は里人の山への信仰を集めるべき役目を負っていたのではありませんか?
射命丸文 :え?
:ま、まあそうなんですが。
上白沢慧音 :中世以降、天狗は山への畏れや信仰を担ってきたのではないのですか?
:恐ろしき面と恩寵的な面の双方を持つ、両義的存在の天狗は、姿無き神霊と麓の人間達をつなぐ位置にあったはずなのですが。それは幻想郷でも同じでしょう?
射命丸文 :えっと、それは……。
:私達は山での独自の社会を維持している訳で……。
上白沢慧音 :ふーん。
:天狗はかつて鬼たちが占めていたそうした立場を奪い取ったというのにねぇ。
射命丸文 :あ、あれは鬼たちが勝手に撤退したのですよ。
上白沢慧音 :……………。
:山の妖怪と人間、神々と人間、それぞれの関係を考え直す時期に来ているのかも知れない。そうでなくては、貴女達の天狗界は人間界の権力構造の単なる陰画に過ぎなくなってしまうよ。
射命丸文 :―――――。
:(はぁ。……振る話と相手を間違えたわ。藪蛇だったかしら)
上白沢慧音 :山は山に棲む者達だけのものではないの。里に実りをもたらす水は山から来るのよ。だから山への祈りは水への祈り、そして豊饒への祈り。
射命丸文 :うーん。そうねぇ。
:母なる山は、人も妖も、最後には其処へと帰って行く山中の他界。
上白沢慧音 :ここはまだ人間達と神や妖怪、―いや自然とでも呼ぶべきか―、との距離が近い。きっとお互いのより良い関係を築くことができるでしょう。
:私はそう信じたい。
射命丸文 :ふーん。私は普通の人間には興味は無いわ。面白い記事にもならないし。
:でも、巫女やら何やら変わった人間も沢山いる。そうね、彼女たちを見ていると、何か新しいことが始まるかも知れない。そんな風にも思えるわ。
:……ネタにもなりそうだし。
:あれもきっと何とかなるわ。そしたら新しい幻想郷の姿が見えるかもね。
上白沢慧音 :何かあったのかしら?
:最近幻想郷の歴史にノイズが混じるのよ。まるで異質な歴史が割り込んできたような……。
射命丸文 :え! 何でもないわよ。
上白沢慧音 :……………。
:次の満月になれば否応なしに解りますよ。
射命丸文 :(ま、その頃までには何とかなるでしょ)
:それはきっと妖怪の山の話。多分、人間とは関わりのない話よ。
:じゃあね。
:と、その前に、新聞取って呉れないかしら?
上白沢慧音 :私には不要ですよ。
射命丸文 :そんなこと言わないで。
:一年間取ってくれたら、お汁粉奢りますから。
上白沢慧音 :??
:何故に汁粉が?
射命丸文 :霧雨の魔法使いに聞いたのですよ。
:勧誘におまけはつきものだぜって……。普通の魔法使い曰く、「せめてぜんざいくらい付けろよな」。
上白沢慧音 :いや、それは……。
射命丸文 :ね、六ヶ月でも取りませんか?
駄目? さ、三ヶ月でも良いですよ。
え、じゃ、せめて一ヶ月でも――。




参考文献
 ・前野直彬注解『唐詩選』(下)岩波文庫1963
 ・松枝茂夫編『中国名詩選』(中)岩波文庫1984
 ・松浦友久編訳『李白詩選』岩波文庫1997

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