今月の御言葉

○平成20年6月

パチュリー先生 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』より


  泣くのはおやめなさい。
  人生は楽園です。僕たちはみんな楽園にいるのです。
  ただ僕たちがそれを知ろうとしないだけなんです。
  もしそれを知る気にさえなったら、明日にもこの地上に楽園が現出するのです。

  
     ドストエーフスキイ『カラマーゾフの兄弟』(第六篇 ロシアの僧侶)
           米川正夫訳、岩波書店1957(改版)



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パチュリー・K 霧雨魔理沙


:(ガシャーン)

霧雨魔理沙 :やっほー。邪魔するぜ!!
パチュリー :また、あなたね……。あなたに“貸す”ような本は此処には置いていないわ。
:―――――。……くっ。
:今日こそは……、覚悟しなさい!!
:輝けるクワルナフの名において命ず……、正義の剣、真実の火、その大いなる力を持って邪なる者を滅ぼせ! 不滅の利益者よ、諸々の神霊よ、我が言の葉に耳傾けよ……。ダズダー、マナンホー、シャオスナナーム……………。
霧雨魔理沙 :ちょ、ちょっと待った。
パチュリー :アフラーイアー、イム………。
霧雨魔理沙 :……だから待てって。
:なんだ? 随分と好戦的だな。今日は本を“借りに”来た訳じゃないぜ?
:折角の良い天気だから神社にでも遊びに行こうと思ってきたんだが。
パチュリー :……………。
:日光は髪が傷むから嫌。
霧雨魔理沙 :……いや、それ以前にこんな暗い所に居ると色々足りてないぜ、多分。
:うーん、良い天気なんだがなあ。ほら一寸前まで雨ばっかり……、ってこっちはそういう訳でもないのか。
:兎に角さ、私たちは素敵な楽園に居るんだ、この世界を楽しまない手は無いと思うがなぁ。
パチュリー :楽園、幸福、そんなものは――。
:……………かつてはそんなものを夢見たこともあったわ。……所詮は見果てぬ夢。
霧雨魔理沙 :何を言っているんだか。この幻想郷は正に“天国”じゃないか?
:まあ、時々変なことは起こるけどな。それも丁度退屈しない程度だし。人間だって人間以外だってそれなりに生きていける。素晴らしいじゃないか。
:そもそも気持ちの持ちようだって話もある話もあるんだ。誰かも言ってたぜ?「人生は楽園です。僕たちはみんな楽園にいるのです」ってな。
:こんな所に籠もってばかりじゃ人生損しちまう……って、あー、何と言うか魔女生?
パチュリー :私の生はこの図書館の本と共にある。凍れる智識こそわが人生。
:それにね、あなた達はどうか知らないけれど、神の摂理に抗い、信仰を捨てた私たちには安息なんて永遠に無いのよ。
霧雨魔理沙 :……………。
:そんなら良いけどな。
:それとも楽園とか天国って言うのは、信心しないと行けないものなのか?
:やっぱり一度死ななきゃ辿り着けないものなのか?
パチュリー :え?……まあ、決してそうと限ったものではないかもしれないえれど……。
:信心、……宗教、ねぇ。宗教は救いを提示する訳だけど……。ええ、現世とは異なるそういった理想郷を設定しているものも多いわね。エリュシオン、アースガルズ、極楽浄土……………。やっぱり、「宗教」とか「楽園」とかをどう定義するかによるわね。
霧雨魔理沙 :「宗教」の定義かぁ。何だか小難しいなあ。私は余り真剣に考えたことも無かったけど……。
:この前山の神様に色々言われたけどねぇ。
パチュリー :宗教……、そう言えば少し前までは宗門って言っていた気がするけど……。今は宗教と言うのだったわね。
:此処での「宗教」って言う言葉は、そう古いものじゃないわ。……高々二百年って所ね。“向こうの世界”では啓典の民の教えのみを意味した……。そう、それ以外は劣った“偶像崇拝”……。
:―――――。
:ふっ。此処ではそんなことは無いわね。世界に満ち満ちた畏き存在を信仰する、穏やかなもの。
:件の神社が信仰を集めているかは疑問だけど、どうやらまだ信仰心は失われてはいないようね。
:貴女は軽視しているようだけど、……宗教は重要な社会構造よ。この幻想郷も一つの社会である以上、不可欠な要素となっている筈……。
霧雨魔理沙 :へぇ。習慣や決まり事なんかと同じって訳か。
:ふうん……。そうなのか。私は宗教なんてものは心が弱い奴が嵌るものだとおもっていたぜ。
パチュリー :正統な信仰はそんなものじゃないわ。宗教とは……。そうね、行動原理……、自身の在り方の基礎となる前提を、超越的な事柄に置くという訳ね。だから所謂自然科学的なものとは異なる位相にあると考えるべきなのだわ。
:規範も、倫理も、宗教と結びついている場合が多いわ。その社会の生み出した文化も、芸術も宗教抜きに語ることは難しい……。だから多くの地域では一人一人の考え方、行動、そしてそこから生まれる社会の構造さえも宗教と不可分に結びついているの。
:宗教は人の生み出した精神活動の中でも、極めて重要なものなのよ。
:―――――。
:……でも。私はそんな宗教が時に肥大し、あらゆる他の価値を、そして多様な文明を抹殺してきたことを知っている。世俗の権力と結びついた宗教的権威による悲劇を、些末な相違さえも容認できない狭量な思想の不毛を知っている。
霧雨魔理沙 :パチュリー?
パチュリー :私には、もうあの頃の純粋な情熱を持つことはできない……。
霧雨魔理沙 :……でも、そうした悪い社会を、この世の地獄を生み出したのは人間なんだろ?
:そうすると、本当に悪いのはそのカミサマや教えそのものって訳じゃないんじゃないか?
パチュリー :え?
霧雨魔理沙 :何て言えばいいかな……。
:つまり、逆に言えばさ、パチュリーたちと神様との関係がどうであろうと、現世は今そこに生きている私たち次第ってことじゃないのか?
:結局、天国だって、否、地獄だってこの現世にしかないのさ。
パチュリー :天国も、地獄も、この現世に、ね。
:……あなたの言っていた誰かの言葉、思い出したわ。
:「泣くのはおやめなさい。人生は楽園です。僕たちはみんな楽園にいるのです。ただ僕たちがそれを知ろうとしないだけなんです。もしそれを知る気にさえなったら、明日にもこの地上に楽園が現出するのです」。
:これはドストエーフスキイの『カラマーゾフの兄弟』の中の一節だわ。幼くして死んだ、大主教ゾシマ長老の兄の言葉ね……。彼は弟にこう言ってその短く、しかし満ち足りた生涯を終えた。「僕のかわりに生きておくれ!」と。
:これは本来は信仰告白と取るべきなのかも知れないけれど……、それだけに止まらない普遍的な意味を持っているのかも知れないわ。
:そう、あなたたちにとってこの世界が楽園であるように、きっと私たちにとっても楽園となり得る……。
霧雨魔理沙 :ああ、そう。それそれ。
:えぇーと、ドストエーフスキイ?
パチュリー :ええ、フィヨードル・ミハイロヴィチ・ドストエーフスキイFedor Mikhailovich Dostevskii(1821-81)、ロシアの作家よ。シベリア流刑を経て、人間性への深い洞察を込めた作品を数多く発表しているわ。『罪と罰』や『悪霊』も良く知られているわね。
:基本的には基督教的人道主義者に位置付けられるかしら。ロシアの大地に根ざした正教的な救済が描かれているとも言えるのだけど……。
霧雨魔理沙 :ロシア? ふーん、最近香霖堂でも見かけた気がするが、本来は外の西方世界の本なのか。
パチュリー :…………あれはロシア正教の物語、……でも、そこに人生の真実が描かれているとしたら……。
:そうだわ、やはり『カラマーゾフの兄弟』の中で、彼はゾシマ長老の兄にこうも語らせているわ。
:「人生というものは、ほんとうに人生というものは楽しい愉快なものじゃありませんか?」
霧雨魔理沙 :おー。正にその通りだな。
:私たちが願えば、そこは楽園。今ある私たちの生は、それだけで祝福されるべき、素晴らしいものだ。そしてこの幻想郷にはそうなるための資格を十分に備えているぜ。
パチュリー :……生きることは楽しいこと。今居るこの世界こそが私たちの楽園……。
:そう考えることができたなら……………。
霧雨魔理沙 :ぐずぐずしていても、何も変わらない!
:さあ、一緒に行こうじゃないか! 思い立ったが吉日。
:……そうそう、彼はこうも書いてるぜ?

:「人間が幸福を知り尽すためには、一日だけでもたくさんですよ」




参考文献
 ・ドストエーフスキイ(米川正夫訳)『カラマーゾフの兄弟』岩波書店1957(改版)
 ・ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟』光文社2006-2007

 ・原文:БРАТЬЯ КАРАМАЗОВЫ

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