今月の御言葉

○平成20年8月

慧音先生 死出の山こゆる絶間はあらじかし
亡くなる人の数つゞきつゝ


  死出の山こゆる絶間はあらじかし
    亡くなる人の数つゞきつゝ

  
   西行『聞書集』より


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八雲紫 上白沢慧音


上白沢慧音 :また今年もこの季節がやってきた……。
:祖霊が彼岸より返り来たる夏。生命の気が充溢するその一方で、“過去”を再認識する時。
:亡き人を思い、そして過ぎ去りし惨禍をも思い起こす、そんな季節が。
:そして何時かは―――。
??? :くくく……。
:貴女、そんなことを本当に信じているの?
上白沢慧音 :……………。
八雲紫 :いくら歴史を重ねようと、惨禍は止まず。人間は過去に学ぶことなどできない。
:本当は貴女にも分かっているはずなのに。
:顧みて見るが良い。外なる世界は常に争いと悲劇に満ち満ちている。あらゆる社会も文明も、闘争と無関係ではいられなかった。結局、人間の栄光は、殺戮と破壊の上にしか築くことはできなかったのよ。
上白沢慧音 :……必ずしもそうではないだろう?
:過去の間違いに気付いたからこそ――。
八雲紫 :そうかしら?
:人は自らの行為に無自覚だった訳ではないわ。その意味を、充分に認識していたはず。
:人間たちは争いの歴史を積み重ね、その不毛も、悲惨さも、皆理解していた。それでも、その愚かな行為を止めることはできなかった。
上白沢慧音 :む。
:理解してさえも、か。
:確かにな。人と人との争いを非難する声も無かった訳ではない。
八雲紫 :そう。
:だから、妬みや憎しみによる争いは、人間の本質なのかも知れないわねぇ?
:……くく、哀しい事よねぇ。
:―――――。
:あなたなら知っているわよね、富士見の僧のあの歌を。
上白沢慧音 :西行法師の?
:……………。ああ、あの歌だな。
八雲紫 :「死出の山越ゆる絶間はあらじかし 亡くなる人の数続きつゝ」
:かの漂泊の法師が戦乱の世を嘆きつつ、この歌を詠んでより八百年余、実質的には何も変わっていないわね。
上白沢慧音 :そう、かもしれないな。
:平安の末期、保元の乱に始まる争乱の時代に生きた西行の、偽らざる思いなのだろうな。
:西行は元々武士だった。それに保元の乱で敗れた崇徳院との関係も浅くはなかった。戦乱の中で死出の山を越えて行く者たちには、彼の親しかった人も数多く含まれていたのだろう。
八雲紫 :「世の中に武者興りて 西東北南いくさならぬ処なし うちつゞき人の死ぬる数聞くおびたゞし まこととも覚えぬほどなり こは何事の争ひぞや あはれなる事の様かなと覚えて」
:この歌に添えられた詞書きよ。
:時は過ぎ、武士の世は遙か昔になったけれど、戦は無くならなかったわ。
上白沢慧音 :ああ、……その歌は『聞書集』に採られているものだったな。
:「こは何事の争ひぞや」……。そう、争いは関わりなき人々をも巻き込み、憎しみは憎しみを呼ぶ。……そして悲劇は永遠に繰り返される。
八雲紫 :その通り。
:人間の歴史なんて、苦悶と怨嗟の声の積み重なったものに過ぎないわ。
:相争う憎悪の念こそ、人間の本質よ。
:文化も芸術も、人間達の在り方から見れば、所詮絶え間ない争いの狭間に偶然に生み出された徒花でしかない。
上白沢慧音 :違う違う……。
:争いだけが本質では無いはずだ。
:人間は歴史を残す、それは過去に学びより良い世界を築きたいという意思の表れ――。
八雲紫 :人間の残す“歴史”など、勝者の自己正当化のための道具でしかない。
:そして外の世界は何も変わっていない。
:そう、外の世界は此処とは違う。人間たちは過去を顧みることもなく、益々大きな力を蓄えている。……その力の本質も弁えないままにね。
:ふふ。愚かよねぇ。
:―――――。
:過去に学べない人間たちは、自ら滅びの道を辿っている。貴女もそう思わない?
上白沢慧音 :……確かにそうかもしれぬ。外の世界はおそらく、人間たちが思っている以上に危うい状態なのだろう。
:だがな、西行があのような歌を詠んだように、人間の社会にも多様な見方が存在できるのだ。そして人間たちの中には、必ず物事の本質を見抜くことのできる者がいる。それはそなたも否定できまい?
:そうした者が居る限り、何時か必ず人間は過去の過ちに気付くことができる。歴史に学ぶことができる。
:……私はそう信じたい。
八雲紫 :余りに強い信念は、物事を見る目を曇らせてしまうわ。
:まあ、貴女は望んでそうしているのかもしれないけれど……。
上白沢慧音 :……何と言われようと、私はこの世界で歴史を編み続ける。未来への糧となることを信じて。喩えその行為が徒労に帰そうとも。
:それが私が自ら選び取った運命なのだから。
八雲紫 :……………。
:この世界では、愚行による悲劇は起きないわ。否、起こさせない。
:幻想郷に棲まうは、愚かな人間たちばかりでは無い。そう、この世界の運命は私たち人外の者が握っているのだから。
:……………。
:……………。
:私には、貴女のように人を信じることはできないもの……。




西行法師についてはここにちょっとした解説記事があります。


参考文献
 ・風巻景次郎・小島吉雄校注『山家集 金槐和歌集』(『日本古典文学大系29』岩波書店1990)
 ・西尾光一校注『撰集抄』岩波文庫1970

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