今月の御言葉

○平成21年2月

慧音先生 中谷宇吉郎の言葉


  雪は天から送られた手紙である

  
                中谷宇吉郎


(「このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということができる。
 そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。
 その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。」
 中谷宇吉郎『雪』岩波文庫1994,初版1938,p.162)

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上白沢慧音 チルノ


上白沢慧音 :おや、雪か。……そうか、そんな季節だったな。
??? :―――――。
上白沢慧音 :おや、小さき氷精よ、珍しいな。
チルノ :ん、……ちょっとね。他の妖精たちには聞き難くてさ……。
上白沢慧音 :??。
チルノ :そのさ、……えっと。ねえ、歴史ってこの世界の思い出みたいなものなんでしょ。
:そんな昔の思い出が全部分かってしまうというのは、悲しくはないの?
上白沢慧音 :え?どうしたんだ、急に?
チルノ :あたいには難しいことは分かんないんだけど……、思い出って楽しいことだけじゃなくて、辛いことや哀しいこともあるよね。
上白沢慧音 :それはそうだが。そもそも妖精は自然の摂理の顕現、循環する生命力のゆらぎのようなもの。
:陽気で楽しいことをのみ求めるものではないのか?
チルノ :そうだよね……。私もみんなと遊んで、悪戯して……。
:だけど。空が冥くなって、六花舞う季節になると、ふと思うことがあるの。
上白沢慧音 :冬はむしろそなたの得意な季節じゃないのか?
:それに、そなたが湖辺りに棲まう妖精の中心だと聞いているが。
チルノ :うん。そうなんだけど。でもね。……閻魔様も言ってたんだけど、あたいは。
:……あたいはね、あたいの力はみんなとは違うんだ。
:あたいの力は……、多分周りの妖精仲間を不幸にしちゃうんだ。
:湖の妖精のリーダーなんて言ったって……。凍り付いた空気の中、そして舞い散る風花の中で、あたいは本当は一人ぼっちなんだ。
上白沢慧音 :騒がしく陽気を好む、か。確かに冬は不得手な妖精の方が多いのかも知れないな。
チルノ :それでも、そんな哀しい気持ちも忘れてしまうんだ。妖精は頭が悪いんだね、あはは。
:……大切なことかも知れないのにね。
上白沢慧音 :……………。
チルノ :だからね、昔の誰かの思い出まで全部分かってしまうのは、哀しいことなんじゃないかと思っただけ……。
上白沢慧音 :そうか。
:歴史とは未来のための過去の物語。かつて生きた者達の喜び、悲しみ、怒り、憎しみ……。その全てを飲み込んで歴史はあるのだ。
:確かにそれは哀しいものだ。だがそれがあればこそ未来へと歩き出す手がかりを得ることができる。過去に生きた者達と対話することもできるのだ。今生きる我々は決して孤独ではない。
チルノ :……孤独ではない。
上白沢慧音 :―――――。
:そうだ、そなたに良い言葉を贈ろう。
:「雪は天から送られた手紙である」という言葉だ。
チルノ :「雪は…天から送られた……手紙」?
上白沢慧音 :うむ。これは物理学者の中谷宇吉郎の言葉だ。
:元となったのは、西暦1939年の彼の著書『雪』の末尾の文章だ。丁度今から70年前になるな。
:「このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるとということができる。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである」という部分に当たる。
:形は少し違うが、後には彼自身求められるとこの言葉を書いたそうだから、この流布した形も中谷宇吉郎の言葉と考えて良いだろう。
チルノ :なかやうきちろう?
上白沢慧音 :中谷宇吉郎は人工雪の研究で知られる物理学者だ。人工雪と言っても、それは自然の雪がいかにしてできるのかを追い求めるためのものだがな。
:明治33年(西暦1900年)に北陸の地に生まれ、長じて実験物理学を志し、「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉で知られる寺田寅彦の弟子となる。科学に関する随筆を数多く手掛けているのも師の影響だろう。
:そして北海道に赴任したことを期に、雪の研究を始める。研究の結果、様々な雪の結晶の成り立ちの条件を明らかにしたのだ。成果は、気温と過飽和度から雪の結晶の形がどう変化したかを示す「中谷ダイアグラム」と呼ばれるグラフにまとめられている。中谷はこの他にも様々な低温物理学の研究を行い、雪氷学を世界に先駆けて確立したと言えよう。
:先に述べた科学に関する随筆の他にも科学映画を撮るなど、科学や科学的な思考について啓蒙活動を積極的に行った人物としても知られる。昭和37年(西暦1962年)に惜しまれつつこの世を去った。『雪』もそうだが、「立春の卵」や「千里眼その他」などの文章は是非とも読んで貰いたいところだ。
:地上へと降ってくる雪は、温度や湿度など、それを作り出した上空での様々な情報を伝えてくれるもの、まさに手紙であった訳だ。さらにはこの言葉は、中谷にとって、研究を始めた頃の、研究費も設備もない中で雪に取り組んだ初心を思い出させてくれるものであったかも知れぬな。
チルノ :そ、そうなんだ。
上白沢慧音 :ただし、この言葉をそんなに厳密に解釈する必要な無いだろう。
:そう、もっと単純に、雪は遙かな天空から何かを伝えてくれる手紙なのだと捉えて構わないのだ。それは冷たく張りつめるような冬の訪れかも知れぬし、何時の間にか近づく春の気配かも知れぬ。それは受け取った者それぞれが感じれば良いのだ。大いなる自然から私たちに贈られた手紙なのだと。
チルノ :雪が……、私への手紙。
上白沢慧音 :そう、例えもの言わぬ雪でも、真摯に耳を傾けてやれば必ず何かを語りかけてくる。
:きっとそなたなら、そうした大自然の声を聞くことができよう。そなたはこの世界の一部、……決して孤独ではない。
チルノ :……………。
:ありがと。
:あたいが何時まであたいでいられるのかは分からないけど……。雪の手紙を読んで、そして私も雪もこの自然の一部だと思えば、みんなとちょっと違っても、昔のことを思い出せなくても、何だか寂しくない気がするよ。
:そうだ。きっと、きっと何時かはあたいが何でこんな力を持ってしまったかも分かるよね。……きっと分かるよね。

:慧音は氷精の問いにはっきりと答えることができなかった。
:規範を外れた強い力は大自然の力の歪み、力は強くとも不安定で脆い。自然の営みの現れそのものが妖精なのだとしたら、異常な力を持ってしまった妖精の未来は……。

:そして、天からはきらきらと光を反射しながら、美しい雪の結晶が舞い降り続けていた。




参考文献
 ・中谷宇吉郎『雪』岩波文庫1994
 ・池内了編『雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集』岩波書店2002


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