今月の御言葉

○平成21年6月

慧音先生 室生犀星「小景異情」


 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ泪ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや


    「小景異情」その二 室生犀星『抒情小曲集』より


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東風谷早苗 上白沢慧音


「神とけものと 人間の道かぎりなければ ただ深く信じていそぐなりけり」(註1)



上白沢慧音 :……つまり、そういうわけで、室生犀星(註2)は近代詩の第一人者とされているのです。
:彼の作品は北原白秋や斎藤茂吉など、同時代の詩人たちにも大きな衝撃を持って迎えられたとされています。ああ、同時代の詩人と言えば、萩原朔太郎と親友だったことは有名ですね。
:後世の文人への影響も大きなものがありました。堀辰雄や三好達治、伊藤整などは犀星から大きな影響を受けたと言われています。
:犀星はその後、詩作ばかりでなく小説も手がけ、小説家としても認められました。『杏っ子』や『或る少女の死まで』などが代表的な小説ですね。
:何れにせよ、室生犀星の詩は近代叙情詩の頂点をなすものとして位置付けられ、また当時としては革命的とも言える現代詩への先駆けであったとされているのです。
:それでは、川端康成の室生犀星評を紹介して今日の授業の締めくくりとしましょう。
:川端はこう言っています。
:「現代の日本語による美の極限の一つを、想像したと思われる」と。
??? :―――――
:「世にさびしき姿をみたり……空にかもいたらんとする蛇なるか……」(註3)
上白沢慧音 :む、ああ山の神社の……。何か用かな?
東風谷早苗 :あ、どうもこんにちは。
:いえ、すみません、……何だか少し懐かしくて。
:ごめんなさい。直ぐに退散します。
上白沢慧音 :別に迷惑を掛けられた訳でもないし、全く構わないぞ。
:……ふ、私の目は誤魔化せないよ。遠慮は要らぬ。さあ、少し話をして行きなさい。
東風谷早苗 :あ、ありがとうございます。……学校と、それから詩を思い出しまして。
上白沢慧音 :ん?
東風谷早苗 :「ふるさとは遠きにありて思うもの。そして悲しくうたうもの…」
上白沢慧音 :ああ、「小景異情」だな。
東風谷早苗 :はい、室生犀星さんの『抒情小曲集』ですよね。
上白沢慧音 :そう、この詩は犀星の詩の中でも最も有名なものだろう。タイトルは正確には「小景異情 その二」。初出は『朱欒(ざんぼあ)』の大正二年(西暦1913年)五月号だな。
:因みに『朱欒』は北原白秋が主宰していた雑誌で、犀星が良く寄稿していた雑誌だ。
東風谷早苗 :学校の授業を思い出します。……何だかずっと昔のことみたい。
上白沢慧音 :ふむ。詩集『抒情小曲集』は犀星の最も早い時期の作品だな。大正七年(西暦1918年)9月、犀星30歳の時の詩集という訳だ。
:彼の処女作品集は同年の1月に発行された『愛の詩集』だが、収められている作品は『抒情小曲集』の方が古いのだ。つまり、『抒情小曲集』には、18、9歳から25、6歳までの犀星青年期の作品が収められている。
東風谷早苗 :若い頃の詩なのですね。
上白沢慧音 :そう、そこには若者ならではの憂いや悲しみ、そして孤独感が色濃く表れている。
東風谷早苗 :……………。
上白沢慧音 :室生犀星は複雑で不幸な少年時代を送った。会うことさえ叶わなかった実母や、引き裂かれた姉への思いを終生引きずっていたようだ。
:もっとも、そうした思いこそが彼の芸術を生み出す源泉だったとも言えるがな。
東風谷早苗 :……子供の頃、家族には恵まれなかったのですね。
上白沢慧音 :ああ、だが室生犀星はそれを逆に自らの創作の力とした訳だ。人の一生に環境は大きな影響を与えるが、全てが環境に左右されるのではない。
東風谷早苗 :……そうですね。
上白沢慧音 :そんな犀星の代表作がこの詩なのだ。
:この詩の解釈については、今でも一致しない部分があるようだが、帰郷した折りの決意の思いをことばにしたものと捉えるのが妥当だろう。異郷にあって思いを馳せずにはいられない懐郷の心情、しかし現実の故郷へと帰ってみれば、そこは彼にとって冷たく悲しい所だったのだ。
東風谷早苗 :やはり、故郷とは異郷の孤独の中でひたすらに慕うべきものなのだ、……というのですね。
上白沢慧音 :そう、そしてそこには前へと進もうとする強い意志と共に、故郷への思いが屈折した形で込められているのだろう。
:……………。
:室生犀星の詩は文語であっても、素朴で分かりやすい。評論家風に言えば、率直で大胆簡潔な破格表現であり、余分なものを削ぎ落とした俳句に連なるような性格をもうかがわせるものなのだ。
東風谷早苗 :さすが、明治末から大正初期の近代詩の黄金期を担ったとされる詩人ですね。
:……………。
:―――――。
上白沢慧音 :“向こう側”が忘れられぬか。
東風谷早苗 :……私も頭では理解したつもりだったのです。私の奉じる方々と共に在るためには、こうすることが最善でした。
:境界の“あちら側”には私たちの居場所は無かった。否、最早必要とされていなかった、のでしょう。ですから、“こちら”へと来ることについては、十分納得したと思っていたのです。……友人との関係も、私の中ではきちんとけじめをつけてきたつもりでした。
:相手がどう思ったかは分かりませんが、ははは……。
上白沢慧音 :……私にはそなたの持つ“歴史”もほぼ分かる。言い難いことは言わずとも良い。
東風谷早苗 :いえ、多分こうして口に出す方が良いのです。
:私は旧き世界を捨て、この地に私たちの未来を賭けたのです。そして古い絆を断つことが、未来を得るための代償だったのです。隣人、友人、そして……。
上白沢慧音 :……家族も、か?
東風谷早苗 :家族……、いいえ、私は絶え果てた血筋を守る最後の風祝です。
上白沢慧音 :そうか……。
東風谷早苗 :でも。それでも。
:それでも私は時々酷く不安になるのです。
:……そう、私は帰るべき故郷を失ってしまったのではないか、と。それに、それだけではありません。私たちの……、いいえ“私”の役目は彼の地に住む人々の安寧を願い、神と人との間を取り持つことのはずでした。それなのに、私はその大切な役割を自ら放棄してしまったのではないかと。
:こんな思いは、こんな迷う心はあの時に捨ててきた筈なのに。
上白沢慧音 :ふふふ。一心に迷うことができるのは、未来ある若人の特権だ。そなたはまだ若い。大いに悩み、迷うがよい。
:そして、おそらくその問いに答えは出るまい。それはそなたの生きる限り、自らの生き様を顧みつつ常に思い起されるものとなろう。
東風谷早苗 :……………。
上白沢慧音 :だがな、時の流れは何人も止めることはできぬ。人は、そして社会や文化は同じ姿であり続けることは叶わぬ。悲しいことだが、“向こう側”でのそなたたちの役目は終わってしまったのであろう。
:世界の変化は個人の力でどうすることもできない所にまで来てしまったようだ。
東風谷早苗 :ああ、もしそうなら、……思いを吹っ切ることもできるのですが。
上白沢慧音 :そなたたちがここへ来たこと、それには意味があるはずだ。そなたたちには新たな役目が与えられたのだろう。そう、ここでは今、間違いなくそなたたちは必要とされている。だから、そなたたちの未来はこの幻想郷にある。
:異郷の地で思いを馳せる“故郷”は、確かに美しい。しかし、それは異郷にあってこその姿、絶望と孤独の中の憧憬が生み出す幻想なのだ。
東風谷早苗 :ええ、だからこそ犀星さんもこう詩っているのですね、「帰るところにあるまじや」と。
:……故郷を思う気持ちがあるが故の、旅立ちのための決意の言葉なのですね。
上白沢慧音 :ああ、だからこそ「ふるさとは遠きにありて思うもの」なのだ。
東風谷早苗 :そう、そしてこの詩はこう続くのでしたね。「遠きみやこにかえらばや」と。
上白沢慧音 :そなたたちは帰るべき場所を喪ったのではない。今や幻想郷がそなたたちの帰るベき場所なのだ。
:既に役目を果たし終えた“故郷”を思うよりも、今そなたたちを必要としているこの地を大切にして欲しい。今や、この幻想郷こそが目指すべき“みやこ”なのだ。そしてやがて、そなたたちにとってもここが新たな故郷となるだろう。
東風谷早苗 :新たな役割、新しい故郷。……私たちにできるでしょうか。
上白沢慧音 :そなたたちは奇跡だって起こせるのだろう。必ずできるさ。


※脚注
   註1:「旅上」(室生犀星『抒情小曲集』)より。
   註2:室生犀星(明治22年[1889]〜昭和37年[1962])
   註3:「樹をのぼる蛇」(室生犀星『抒情小曲集』)より。



参考文献
 ・『室生犀星集』(『日本現代文學全集61』)講談社1961
 ・『室生犀星集』(『日本文学全集』第2集12)河出書房新社1969
 ・『室生犀星・萩原朔太郎集』(『現代日本文學大系47』)筑摩書房1970
 ・『室生犀星・外村繁集』(『筑摩現代文学大系29』)筑摩書房1976
 ・室生犀星『室生犀星詩集』(改版)岩波文庫1983


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