今月の御言葉

○平成22年2月

慧音先生 冬ながら空より花の散りくるは
雲のあなたは春にやあるらむ


 冬ながら空より花の散りくるは
   雲のあなたは春にやあるらむ

    清原深養父『古今和歌集』第六巻(冬・雪の降りけるをよみける)

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西行寺幽々子 上白沢慧音


西行寺幽々子 :おや、こんなところで珍しい。ちょっと雪見とでも洒落込んだのかしら。
上白沢慧音 :ご挨拶だな、白玉楼の主よ。
:顕界でそなたを見る方が本来は不可思議な筈なのだが。
西行寺幽々子 :まあまあ、私だってこっちに来たい時だってあるのよ〜。
:それにしても毎日寒いわね−。毎年毎年春は暦の上だけって言うのが当たり前になってるもんねぇ。
:暖かい料理がおいしいのは良いのだけれど。
上白沢慧音 :うーむ、まあ現代の場合、そもそも暦自体が実際の気候とずれているのだがな。
西行寺幽々子 :早く春にならないかしらね。皆で迎える幻想郷の春が待ち遠しいわ。
上白沢慧音 :まったく、春を集め廻って冬を長引かせた張本人のことばとは思えぬ。
西行寺幽々子 :冬が長引けば長引く程、春が素晴らしく感じられるでしょ。みんなが春をより楽しく過ごせるように、わざとやったのよ〜。
:長く厳しい冬の後に訪れる春は格別よね〜。
上白沢慧音 :……嘘吐け。
西行寺幽々子 :今年は何にもしていないけれど、まだまだ寒いわねぇ。
上白沢慧音 :そうだなぁ。日は短いし、風も冷たいしな。
西行寺幽々子 :でもね、それでも時々春の気配を感じられるの。今の季節は、雪景色の中にも僅かに仄めく春の予感を見て取ることができる。
:私にはそんなひとときが何ともいえず楽しいの。
上白沢慧音 :雪の中にも春に萌え出るであろう生命の兆しが、新たな緑の息吹が、目覚めようとする生き物たちの息づかいが感じられるという訳だな。
西行寺幽々子 :そうね。陰極まりて陽兆す。たとえ雪が降っていても、その先は既に春がやって来ている。
:ふふふ。舞い散る雪の片々でさえ、遙かに風に乗る花びらのごとく……。
:「冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらん」
上白沢慧音 :ほう、清原深養父か。
西行寺幽々子 :そうよ。春を待つ今の気持ちにふさわしいでしょ。
:雲の彼方、空の上に既に来ているであろう春の気配。春への憧れは雪をも花びらに見せる。
上白沢慧音 :雪を落花に見立て、春への思いを表現している、機知に富んだ歌と言えるな(※註1)。
西行寺幽々子 :貴女が言うとどうにも説明的でねぇ。
上白沢慧音 :む、それは性分だからな、仕方なかろう。
西行寺幽々子 :まあ、深養父の歌は理知的だし、軽い諧謔を含んだ作品が得意だったみたいだしね。
:ほら、あの百人一首に採られているものもそうでしょ。
上白沢慧音 :うむ。「夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらん」だな。
西行寺幽々子 :そうそう。でも、恋の歌も多いのよ。
:役人としてはどうにもうだつの上がらない人だったけどね〜。歌に加えて琴の才能もあったのだけれど、むしろ一般には清少納言の曾祖父として知られているのかしら。
上白沢慧音 :そうかもしれぬな。
:深養父は十世紀後半の人物だが、正確な生没年すら伝わっていない。豊前介房則の子として生まれ、延喜八年(西暦908年)に内匠允(たくみのじょう)に、延長元年(西暦923年)に内蔵大允(くらのだいじょう)、同八年従五位下となった。まあ官吏としては確かにあまり大したことがないと言える。晩年は洛北に補陀落寺を建立して隠棲したというな。
西行寺幽々子 :歌人としては素晴らしい人物だったのにねぇ。
上白沢慧音 :全くだ。藤原兼輔や紀貫之と親交があったし、古今集の17首をはじめとして勅撰集には41首もの歌が入っている。三十六歌仙の中に含まれなかったのが不思議なくらいだな。
西行寺幽々子 :そういえばそうねぇ。
:あ、でも、藤原範兼が三十六歌仙に倣って選定した中古三十六歌仙には選ばれているわ。
上白沢慧音 :理知的でユーモアのある詠いぶりは古今集の特徴の一面をよく表しているとも言えよう。
:先ほども言ったが、藤原定家の百人一首に採られているし、藤原俊成も彼の才能を認めていたようだ。俊成は歌論書『古来風躰抄』で深養父の歌を秀歌として取り上げている。
西行寺幽々子 :ふふふ。まさに芸術によって名を残したという典型みたいなものね。
上白沢慧音 :ああ、一方でやや技巧に走りすぎているという評価もあるがな。
西行寺幽々子 :―――――。
:雲のあなたは春にやあるらん……。雪空に舞う花びら、か。
上白沢慧音 :ん?
西行寺幽々子 :懐かしいわね。
上白沢慧音 :あの時のことか?
西行寺幽々子 :あれは忘れ得ない出来事となったわ。そしてかけがえのない出来事に。
:その時私は初めて出会った。紅白の蝶に、その真っ直ぐな瞳に。
:ふふふ。幽かな春の欠片を追ってきた彼女にね。
上白沢慧音 :彼女はいつも暢気でとらえどころが無く、……そしていつだって呆れるくらいに真っ直ぐだからな。
西行寺幽々子 :そうね。私は忘れない。あの遙かな未来を自ら掴み取ろうとする強い意志のこもった眼を。
:あの日……。あの時の巫女は遙か空の上の春をはっきりと見据えていたわ。
:そして……。ふふ。「色も香も同じ昔に咲くらめど年経(ふ)る人ぞ改まりける」
:ああ、何だかもうずっと昔のことのよう。
上白沢慧音 :そうだな。幻想郷でも何だかんだで色々なことが起きているからな。
西行寺幽々子 :私は多くの人間を、妖怪を、あらゆる生きとし生けるもの達を見てきたわ。
:でも、彼女を巡る者達ほど騒がしく刺激的な、でも優しくて強い、そんな者達に出会ったことは無かったわ。
上白沢慧音 :……………。
西行寺幽々子 :いつの日か、この気持ちも遠い思い出となってしまうのかしら。
上白沢慧音 :……………。
西行寺幽々子 :あ!
上白沢慧音 :おや……これは?
西行寺幽々子 :あら、本物の花びらですわね。
上白沢慧音 :ああ。そうか、春はもうそこまで来ていたんだな。


※1 :本文中の解釈はやや恣意的なので、以下に歌の一般的な解釈を示しておきます。
:冬であるのに、空から花びらが散ってくる。してみると、空を覆う雲の彼方には、もう春が来ているのだろうか。という意で、雪を落花に見立てて詠んだもの。
:冬であるのに、という理知的でユーモア溢れる軽い諧謔が主眼。


参考文献
  ・佐伯梅友校注『古今和歌集』(『日本古典文学大系8』岩波書店1958)
  ・田辺聖子『百人一首』角川書店1986
  ・三木幸信,中川浩文『評解小倉百人一首』京都書房1988
  ・『國史大辞典』吉川弘文館1984

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