今月の御言葉

○平成23年3月

阿求先生 仰げば尊し


「仰げば尊し」(作詞・作曲者不詳)

1 仰げば 尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
  思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
  今こそ 別れめ いざさらば

2 互(たがい)に睦し 日ごろの恩
  別るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば

3 朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
  蛍の灯火 積む白雪
  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば

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稗田阿求 上白沢慧音


子供たち :仰げば尊し我が師の恩〜♪
:教えの庭にもはや幾年〜♪
:……………
:……今こそ別れめ〜、いざ〜さら〜ば〜♪

:慧音先生。今までありがとうございました。
上白沢慧音 :ありがとう。……みんな短い間にずいぶん成長したな。これからは是非とも里の未来を担う立派な若者となってくれ。
:君たちの前には洋々たる、無限の可能性が開けているのだ。

:最後に君たちに言っておきたいことがある。君たちはこの学舎を今日巣立ってゆくわけだが、どうか忘れないで欲しい。君たち皆がここで学んだのは知識やものの考え方だけではない。ここで共に過ごした年月、友人や先輩・後輩との絆、その総てが君たちの得たことなのだ。それは他の何にも替え難いかけがえのない宝となろう。

:……今すぐにその価値が分からなくても良い。だがきっと君たちの生きる糧となってくれると私は信じている。
:私が君たちに教えられることは総て教えたつもりだ。だから今後は自らの足で前に進んでいって欲しい。そう、君たちには未来があり、自分の進むべき道を自分で決めることができるのだから。
:君たちが学んだことの中には、日常で暮らしてゆくに当たって不要だと、無駄だと思えるような内容もあるかもしれぬ。
:だが、学んだことで“無駄なこと”など無いのだよ。
:だから、一生学んでゆくという姿勢を、どうか忘れないで欲しい。
:勿論、それは学校に限られたことではない。生き物は総て、その生涯を通じて何かを学び続けるものなのだ。
子供たち :……先生!
:先生!!

〈・・・少女お別れ中・・・〉

??? :蛍の灯火、積む白雪〜♪
:こんにちは。……先生。
上白沢慧音 :おや、これは稗田の。
:こんにちは。
稗田阿求 :『仰げば尊し』、この季節になるといつも思い出します。
:同時に皆で歌ったあの時のことを。
上白沢慧音 :そうか。……あれから随分と時を経たな。今やそなたは『幻想郷縁起』を見事に上梓した立派な九代目御阿礼の子。
:それに、そもそも師たるはむしろ――。
稗田阿求 :私は阿求です。私が受け継ぐのは縁起に関わる僅かな事だけ。だから、やっぱり慧音さんは私の先生です。
上白沢慧音 :む、……すまない。
稗田阿求 :そんな、謝らないで下さいよ。
:それはそうと、外の世界では、この歌はだいぶ廃れてしまったらしいですね。
上白沢慧音 :ふふ。それでこちらの子供たちが歌うようになったと言う訳だが。
:……内容が時代にそぐわぬと見なされたのだろうな。古い権威や制度を賛美するものだと。
稗田阿求 :私にはそんなに権威的、反動的な歌詞には思えないのですが。
:言葉はちょっと難しいですけどね。
上白沢慧音 :ははは。確かにそうだな。
:学校という場、教師と生徒という関係、その変化はなかなか複雑なのだ。中でも一番わかりやすい対象として槍玉に挙げられたのだろう。本当に深刻なものは変化させることは大変だからな。
稗田阿求 :「身を立て名をあげ」は立身出世主義だとか。解釈によっては何の問題も無いと思うのですがね。むしろ表面的な言葉の自粛は碌なものではないと思います。我が師の恩ったって、別に教師を無条件で崇め讃えよって言ってるとも思えないし。
上白沢慧音 :全くだ。ふむ、件の箇所は『孝経』が出典だったか……。もっとも、歌詞が難しいということが本当の理由かもしれぬとも私は思っているのだ。教師も説明するのが面倒だと思っているのではないかな。
:とにかく、こうした難しい言葉を含む歌が歌われる機会はどんどん減っているようだ。美しい言葉や旋律を持つものも多いのに残念なことだな。
稗田阿求 :そうですね。子供のうちに歌のような身近な形で古語や雅語に触れていれば、後々古典を読むのも楽だと思うのですが。
上白沢慧音 :ま、私の教え子たちは難しい言葉があっても皆楽しそうに歌っているがな。言葉の正確な意味まで分かってはいないだろうけどね。
稗田阿求 :うーん。係り結びとか、理解するのは難しいかもしれませんね。「今“こそ”別れ“め”」を「分かれ目」と思っちゃっても仕方がないでしょう。
上白沢慧音 :ああ。強調だから「まさに今分かれましょう」という意味なんだが。加えてこの部分の歌詞には、今は別れてもいつかまた立派になって再会しよう、という意味が含まれているのだろうな。
稗田阿求 :他にも「行くとせ」とか「愛おし」とかねぇ。そう言えば「いととし」を「一昨年(おととし)」の仲間と思っている人もいたっけか。
上白沢慧音 :……そなた、知っててわざと同級生に嘘を教えていたんじゃないだろうな。
稗田阿求 :ええーっと。そんなこと無いですよ。
:そ、そうそう。この歌って、作曲者も作詞者も分からないんですよね。
上白沢慧音 :ん? ああ、その通りだ。
:一般にはスコットランド民謡だと言うが、よく分からない。この曲は明治十七年(西暦1884年)の『小学唱歌集(三)』に初めて載せられたのだが、その時編集を行った教育者の伊澤修二が作詞・作曲したという説もある。また、伊澤の残した文献などから、作詞は国語学者の大槻文彦、庭の千草や埴生の宿の訳詞で知られる里見義、里見と共に文部省の音楽取調掛に所属し作詞も手がけた加部厳夫の三人の合議であったとも言われている。
稗田阿求 :へえ。複雑なのねぇ。
上白沢慧音 :様々な経緯はともかく、「蛍の光」などと並んで卒業式に歌われる定番の曲となった訳だ。
稗田阿求 :「蛍の光」ですか……。そう言えば、この曲にもある車胤孫康の故事も今ではあまり知られていないのかも。
上白沢慧音 :そもそも外の世界では蛍自体が珍しくなってしまっているようだからな。
稗田阿求 :―――――。
:共に過ごした日々を懐かしく思える、そんな学舎に通うことができた私たちは幸福でしたよ。
上白沢慧音 :そう言ってもらえると、ありがたいな。
:学校で一緒に過ごすことの意義は、単に知識を得たり集団行動に慣れたりすることだけじゃないんだ。人と人との繋がりを作ること、そして沢山の人と絆を築くことこそが本当に大切なことんだ。若い頃に得た絆は強く、深いものだ。きっと一生の宝物になる。
稗田阿求 :あとは“学ぶこと”の楽しさ、大切さを理解させること、でしょうか。
上白沢慧音 :その通り。私たちは一生学び続ける。さっき言ったとおり、それは学校に限ることじゃない。あらゆる生き物はその生涯を通じて何かを学び続けるものなんだ。生きている限り、な。
稗田阿求 :学ぶべきこと、学びたいことは無限にありますものね。
上白沢慧音 :そう、より良い生を得るためにも、それは必要なのだ。
:私がその導き役をきちんと果たせているかは、分からないがな……。
稗田阿求 :慧音さん、……慧音先生。
:私は人間の里の誰もが認める特別な存在として生を受けました。あらゆる人から、両親からさえも、丁重に、否あたかも腫れ物を触るように扱われました。
:いえ、それを恨んでいるわけではありません。私は体が弱かったですし、両親の私への愛情も疑ってはおりません。それでも、私は特別な存在だったのです。
上白沢慧音 :皆、そなたを大切に思うが為のことだ。
稗田阿求 :ええ。頭では分かっているのです。……でも。
:私は一人の人間として、……御阿礼の子ではなく、稗田阿求として生きたかったのです。
上白沢慧音 :……………。
稗田阿求 :だから。だから私は嬉しかったのです。みんなと一緒に過ごした学校でのあの日々が。
:先生は私を他の子供達と区別せずに扱って呉れました。……そう、共に遊び、笑い、時には叱られた。
:だから私は忘れません。阿求としてある限り。
:ありがとう、……先生。
:あの日々があるからこそ、今私は御阿礼の子としての責務へも向き合うことができるのです。
上白沢慧音 :そうか。
:……私は良い生徒を持ったな。
稗田阿求 :私はこれからも学校での思い出を胸に、前を向いて生きていきたいと思っています。阿求としての生を。
:――だから先生。最期まで、私を見守っていて下さいね。



子供たち :思えば いと疾し この年月
:今こそ 別れめ いざさらば



参考文献
  ・田中克己「試論「身を立て名をあげ」の現在-「仰げば尊し」・「音楽」教科書・「唱歌」教育から-」
   (名古屋大学国際言語文化研究科日本言語文化専攻 研究誌『言葉と文化』第4号,2003)

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