出雲大社の本殿特別拝観がありました。 またとない機会ですので、何とか時間を作って行ってきました。 また、出雲市で一泊するために半日程時間が空いたので、松江市周辺を回ってきました。 特に変わった所を訪れた訳ではないので、それぞれについては簡単に書くことにします。 |
一、松江市 バスを利用して、松江市近郊の幾つか神社を巡ることにしました。 普通なら、黄泉津比良坂ゆかりの揖夜神社を選ぶのでしょうが、 一応建築に関わる人間なので、建築史っぽい選択になりました。 |
●神魂(かもす)神社![]() 現存最古の大社造(たいしゃづくり)の本殿です。国宝。 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を合祀。 天正11年(1583年)の造営。出雲大社本殿より規模はかなり小さいのですが、 床高く、柱も太く、より古式を残していると言われます。 正面と背面の中央に立つ「棟持柱」は壁面よりかなり外に出ており、 出雲大社のより古い形式を伝えるものとされています。 平面は出雲大社と対称形になっていて、神座は左奥にあります。 出雲国造と関わり深く、中世以来、代替わりの際の火継ぎ神事は当社で行われます。 古い由緒を持つにもかかわらず、『出雲国風土記』や『延喜式』神名帳には登場せず、 元々出雲国造の私的な社であったのではないかとも考えられています。 ![]() これは柱間が二つのちょっと珍しい形式の社殿です。 本殿の左側にある末社、貴布禰(きぶね)稲荷両神社です。 本殿と同時期の造営で、重要文化財です。 ●八重垣神社 ![]() 素戔嗚尊(すさのをのみこと)が櫛稲田姫を主祭神とし、 御子神の大己貴命と青幡佐久佐日古命を祀る。 八岐大蛇を退治した素戔嗚尊が櫛稲田姫を娶り、 「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」 と詠んで住んだという故事に因む社名を持ちます。 現本殿は安政六年(1859)の造営とされています。 『延喜式』神名帳に記される佐久佐神社に比定されていますが、 歴史的には、八重垣神社が佐久佐神社を合併したようで、 そもそもの佐久佐神社についても、近在の六所神社がそれに当たる との主張もあり、実際の所はよく分かりません。 縁結びの御神徳で知られているようです(女性の参拝者が多かったような)。 社殿後方の杜の中には鏡池や夫婦杉があり、中々良い雰囲気でした。 櫛稲田姫が姿を隠した地との伝説があるそうです。 社殿の板壁に描かれていた壁画(神像)が重要文化財に指定されています。 現在は小さな宝物館で見ることができます。 櫛稲田姫や天照大神がとても美人に描かれていました。 ![]() 何故かとろけたような八重垣神社の狛犬 ![]() 本殿の傍らにある山神社。 奥の方に見えるアレがこの社の性格を良く表していますね。 社殿の下にもたくさんのアレが奉納されていました。 ●真名井神社 ![]() 出雲風土記の丘から国分寺跡の方へ移動。 田圃を前にし、背後には神奈樋山という位置にあります。 本殿は神魂神社に次ぐ古さを持ち、島根県指定文化財。 やはり大社造の古式を伝えます。寛文二年(1662)造営。 材には朱塗りの痕跡が残り、妻面には雲龍が描かれています。 「棟持柱」も神魂神社のように壁面から突出しています。 『延喜式』神名帳に記される古社で、伊弉諾尊、天津彦根命を祀ります。 ![]() こういうものがあると、直ぐ反応してしまうところがビョーキですな。 まあ、この辺りは八雲の名前は多いです。蕎麦処八雲庵とかありましたし。 |
風土記の丘周辺で他に巡ったのは、遺跡とか史料館なので、省略します。 松江市街に戻ってきました。 時間がだいぶ遅くなってしまったので、月照寺や茶室は諦めて 松江城を歩いてきました。天守からの眺めは中々良かったです。 係員の人が下の層から窓をどんどん閉めてきてちょっと焦りました。 続いて城郭を北側に抜け、塩見縄手(武家屋敷)へ。 ●小泉八雲旧居 ![]() 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が7ヶ月間過ごした所です。 元々格式の高い武家住宅で、大小11の部屋で構成されます。 享保年間(1716〜36)に建てられたと言われます。 ![]() 引いて見るとこんな感じ。 他にも近代建築を幾つか見たりしましたが、 多分一般的に興味があるものではないので、 一日目はこれでお終い。 |