出雲大社拝観記

出雲大社の本殿特別拝観がありました。
またとない機会ですので、何とか時間を作って行ってきました。
 
本殿の拝観が終わったので、周辺をうろうろ。
出雲大社関連のその他の施設と、大社周辺の名所などを。
 
 
三、大社町(出雲大社周辺)
 
 
 
出雲大社庁の舎
出雲大社庁の舎
なんとも異質なこの建物、建築関係者には有名な庁の舎(ちょうのや)です。
菊竹清訓(江戸東京博物館とか、今は亡きパシフィックホテルの設計者)の設計です。
出雲特有の農具「はでば」の形を取ったといいます。
プレキャストのコンクリート部材で構成されています。
竣工後45年、もう馴染んできたのでしょうか。
(正直私はあまり好きではないですね)
 
東側にある、神[ネ古]殿(しんこでん)も菊竹の設計です。
鉄筋コンクリート造、何かこうぬめっとした曲線でできています。
二階が宝物殿になっていて、出雲大社の宝物が展示されています。
展示品は流石に凄いものが多いです。勾玉や銅剣は美しい。
 
出雲大社庁の舎 側面
「年貢」ってすごいなあ。
 
 
北島国造家
出雲国造北島家大門
大社の東側にある、出雲国造家の一つ北島家の屋敷です。
 
写真は南側の大門(安政年間)ですが、正門は西側にあります。
正門は寛文五年(1655)に移築されたもので、島根県指定文化財です。
正門(四脚門)は出雲大社に関わる最も古い遺構で、貴重なものです。
 
出雲大社社家の出雲国造家は、南北朝時代に千家氏と北島氏
とに分裂しました(神事は交替で受け持つ)。
現在は千家家が出雲大社教の総本院、北島家が出雲教の総本院という
ことになっているそうです(違いがよく分かりません)。
今出雲大社の宮司を務めているのは千家さんだったと思います。
 
明治になるまでは平等に出雲大社に携わって来たはずなのですが、
今ではどうも両家の間に差ができてしまっているようです。
明治期の政治力の差でしょうか。それとも終戦時の動きでしょうか。
 
 
 
祖霊社
出雲大社教祖霊社
出雲大社教祖霊社。出雲大社の西側にあります。
 
明治になり、神仏分離が行われた時に、それまで仏教が管理していた
葬送儀礼を神社側が行う場所として設けられた施設です。
明治8年(1875)、出雲大社大宮司の千家尊福によって建てられました。
 
寺院風の建物に注連縄というちょっと奇妙な雰囲気の施設。
(ただし、妻を正面に見せているのはやはり神社建築の伝統です)

 
出雲大社から西へ歩いて行くと、海が見えてきます。
結構暑かった……。バスを使う方が正解かも。
 
このあたりは十月の神在祭で重要な役割を果たす場所でもあります。
 
 
稲佐浜
稲佐浜
国譲り神話の舞台となった稲佐浜(伊那佐の小浜)です。
建御雷神(武甕槌神タケミカヅチ)や経津主神(フツヌシ)が剣を突き立てて
国津神の大国主命や事代主・建御名方と国譲りの交渉をした場所です。
神在月に神迎祭を行うことでも有名ですね。
 
中央に見える島は弁天島です。
更に奥(南側)は薗の浜と呼ばれ、『風土記』の国引き神話ゆかりの土地です。
八束水臣津野(やつかみづおみつぬ)命が引いた綱が薗の浜になったのです。
 
海水浴場なのですが、地元江ノ島の雰囲気に慣れていると
ちょっと寂しげな感じ。
 
 
屏風岩
屏風岩
国譲りの時に、大国主命が建御雷神とこの岩陰で交渉したそうです。
稲佐浜から少し山側へ入った場所にあります。
意外と小さな岩で、民家の間にあります。
倒れる危険があるとのことで近づくことが禁止されていました。
 
稲佐浜バス停付近には国譲りのシーンを描いたレリーフなどもありました。
 
 
上の宮(出雲大社境外摂社)
出雲大社境外摂社 上の宮
稲佐浜から出雲大社の方へ少し入った所に鎮座します。
仮宮とも称されます。祭神は素戔嗚尊と八百万神です。
神在月には、全国の神々がこの社で協議を行います(神在祭)。
大国主命が主宰となり、様々な縁を結ぶ神議を行うのです。
 
 
下の宮(出雲大社境外摂社)
出雲大社境外摂社 下の宮
天照大神を祀ります。
  
出雲大社周辺には他にも祓戸四神を祀る祓社、大歳神を祀る大歳社、
岐神を祀る出雲井社、建御雷神を祀る因佐神社など、多くの摂社があります。
 
 
なお、出雲大社から稲佐浜の途中には、出雲阿国の史跡もあります。
晩年を過ごしたという土地や、墓所などがあります。
時間があったら、そちらも見学すると面白いかも知れません。
 

 
稲佐浜からバスで20分ほど海岸沿いに行くと日御碕です。
海岸沿いを走るので、景色が素晴らしい。
途中には建御名方が建御雷と争って投げた岩という「つぶて岩」などもあります。
 
バス停から徒歩15分ほどで日御碕灯台へ到着します。
 
 
日御碕灯台
日御碕灯台
明治36年(1903)に建設された石造灯台。
もう100年以上海の安全のために働き続けている訳です。
塔の頂部まで43.65メートルと石造では最大級。
(水面から燈火までは63メートルもあります)
 
外国人技師の手を離れ、日本人技術者によって設計されました。
地震などに備えるために、二重の壁体を持っています。
 
白い姿は美しく、また上からの展望は気持ちがよい気持ちが良かったです。
この時は、本当に天気が良くて良かったと思いました。
現役灯台ですが、登ることができるので、高い所が好きな方は是非に。
 
 
日御碕神社 神の宮
日御碕神社 神の宮
海岸のすぐ傍にある朱塗りの社殿。
バスから見える風景は少し不思議です。
 
小さな丘の上にある神の宮(上の宮)と日*宮(下の宮)を合わせて
日御碕神社と称します。古来出雲大社と並ぶ大社でした。
上の宮には素戔嗚尊が祀られます。重要文化財。
一段高い本殿と拝殿幣殿で構成されています。
入母屋造の社殿が拝殿で結ばれる形となるため、一種の権現造とも言えます。
(*はさんずいに冗、読み方は「ひしずみのみや」です)
 
日御碕神社の社殿は、徳川家光によって寛永21年(1644)に再建しました。
幕府造営の立派なもので、日光東照宮の意匠をうかがわせる部分もあります。
 
 
日御碕神社 下の宮
日御碕神社 ひしずみのみや
日*宮(ひしずみのみや)は天照大神を祀ります。
形式は神の宮と同じ(こちらの方が大規模)拝殿幣殿+本殿です。
寛永21年(1644)徳川家光の命により再建。重要文化財。
 
幣殿から長い階段を上って、高い本殿へ至ります。
ここには写っていませんが、楼門(重文)があり、回廊が廻されています。
 
堂々とした大建築です。彩色や屋根形状もあって、密教系の本堂を思わせます。
 
日御碕神社にはこの他にも門客人社、宝庫、禊所があり、何れも重文です。
 
 
日御碕神社の御札
日御碕神社 神符
龍蛇神のデザインが良い。
 
この他にも、とぐろを巻いた蛇の形の神像?もあったのですが、
さすがにそれは購入しませんでした。
(本来信仰に関わるものなので、デザイン云々はあまり宜しくないのですが)
 
バスは約1時間に一本なので、見学は計画的に。
 
 
時間があれば佐太神社や美保神社、須佐神社なども見たかったのですが、
又の機会と言うことで、今回は諦めました(黄泉比良坂も)。
 
 
特急やくも
特急やくも
あちこち回ったので、あまりゆったりはできなかったのです。
 
特急を降りて先頭車両の「やくも」を撮ろうとしたら、もう「回送」になってた。
 
 
岡山では桃を買って帰りました。
 
そうそう、駅の売店で「きずもの」としてバラで桃を売っていたのですが、
これは皮にちょっと凹みがある位で自宅用としては全く問題がありません。
半額以下で清水が食べられて満足満足。美味しかった〜。
って、出雲と関係ないじゃん。
 
 
<おしまい>
 

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