花妖

花妖

 花妖       花に屡々心宿りて
  可憐な乙女と現はれたる事あり
  彼の者の咲かせし花
  美しきこと限りなし
  何人たりと其れを真似ること叶はずとぞ
 四季のフラワーマスターこと、風見幽香嬢です。
 
 危険度極高、友好度最悪のちょっと危ない妖怪さんですね。常に花と共に在り、花を操る程度の能力を持ちます。
 花は大自然の生命力の顕れ、彼女の強大な力はまさに大自然の力と言えましょう。

 巷が地霊殿なこの時期に、何をとち狂ったか風見の幽香さんです。それでも少々季節外れになりかけていますが。
 旧作はやったことがないので、花映塚と求聞史紀くらいしか資料がありませんので、本質を掴めているかはちょっと怪しいかも知れません。このサイトでの幽香嬢の性格付けはこんな感じです。
 やっぱり幽香嬢には、太陽花こと向日葵が似合う気がします。ああ、でもヒマワリはペルー菊とも呼ばれた新大陸産の花なので、古い西洋の神話に登場する「太陽花」はヒマワリでは無いんですね。はてさて、アポロンを慕って「太陽花」に姿を変えたクリュティエはいかなる姿であったのか。

 それは兎も角、意外にも日本には“花の妖怪”というものが余り多くないようなのです。花や植物に関する怪異譚や伝説は数多くあるのですが、花の妖怪と呼べるものって殆ど見あたらないのです。僅かに桜や梅と言った花樹の精や、古椿の木の精などが妖怪に近く描かれる事があるくらいでしょうか。鳥山石燕の「画図百鬼夜行シリーズ」でも、植物が本体の妖怪は、芭蕉精と古山茶の精、人面樹くらいです。
 おそらく日本人は飛梅や墨染桜みたいな物語が好みだったのでしょう。
 一方で大陸の伝説や怪談には、花妖とでも呼ぶべき存在がしばしば出てきます。牡丹や菊が美しい人間の姿を取って現れるのです。実体があるので、精と言うよりやはり妖怪に近いように思われます。今回の詞書きは、蒲松齢の『聊斎志異』に採録された物語を参考にしました。菊の精である黄英と陶という姉弟の物語で、彼女たちが育てた菊花は逸品ばかりでしたが、他人がその株を育てても、つまらない花しか咲かせることができなかったと言います。

 花に囲まれているイメージが強いので、花を色々加えていたらごちゃごちゃして視にくい見難い画面になってしまいました。もうしこしシンプルにまとめられれば良かったかと思います。それから、傘を和風にアレンジしてみました。本当は「幽かな花の香りを集める曲線」でないと拙いのかもしれないのですが。

 自然を支配しようとし、様々な害をもたらす存在が人間なら、その一方で花を愛し育てるのも人間です。ですから、この花に囲まれて生きる妖怪が、花を楽しみ愛す存在なら、実は人間との交流もあったのではなどと思ったりもするのです。
 しかし、人間も所詮自然の一部であり、植物の生命のサイクルは本来人とは無関係です。そんな人智を超えた大自然の権化であれば、彼女を理解することは、そもそも不可能なのかも知れません。

 そう、そしてそれこそが、“自然”の本来の姿なのでしょう。人間が特別だなどというのは、単なる驕りに過ぎません。人でも、虫でも、植物でも、生きているという点で何の違いもありません。

 自然は時に残酷ですが、決して邪悪ではないのです。


参考文献
  高田衛監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』1992国書刊行会
  柳田國男「神樹篇」『柳田國男全集』筑摩書房1990
  荒俣宏『花空庭園』平凡社1992
  日野巌『植物怪異伝説新考』中央公論新社2006
  野上豊一郎編『謡曲全集』中央公論社1971
  蒲松齢(立間祥介編訳)『聊斎志異』(下)岩波文庫1997
  国史大辞典編纂委員会『国史大辞典』吉川弘文館1987
 ほか


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