一本踏鞴 多々良小傘

一本踏鞴


 一本踏鞴 .
(いっぽんだたら)
  隻眼独脚の山の神也
  昔時片目を潰され
  片足を折られし
  頭屋神主
  終に戮されて
  神と祀られし由
  時を経て今
  崇敬を失ひ
  深山曠野を
  漂白する
  恠物となりぬ
 愉快な忘れ傘こと、多々良小傘さんです。
 
 星蓮船購入記念で何か書かなくてはと思って構想を始めてはや×ヶ月……。ま、まあ入手したとたんにPCがクラッシュしたり色々あったんで。
 とまれ、いかにも(小者)妖怪っぽい、可愛いお嬢さんですね。正統な付喪神の後継とはいえ、所詮は江戸時代に登場した時に既に愛され笑われる“キャラクター”であった化け傘、人を、しかも現代人を驚かすことは彼女にとってはちょっと荷が重いかもしれません。

 ところで、おまけのテキストなどによれば小傘さんは古傘が化けたもので、付喪神に代表される「器物の妖怪」にカテゴライズされる訳なんですが、もう一つ少し毛色の異なる背景を負っています。これは「多々良(たたら)」という苗字や手にした傘が一つ目(一本脚)であるということからうかがえるもので、所謂“
一眼一足の怪”としての性質です。
 楽しげでちょっと間抜けな印象の化け傘とは違い、こちらはやや重い内容がその背後にちらつきます。曰く聖痕としての身体の欠損、曰く畏怖された金属技術者の幻影、曰く祭り毎に神に奉げられた神主の姿、などなど。また、しばしば山の神の姿として語られたりもします(比叡山の元三大師なども一眼一足と伝えられます)。
 海外にも一つ目一本足の怪物の伝承は数多くあるのですが、やはりその実像については良く分からないようです。ところで、様々な仮説の中でも柳田國男の唱えた神主殺害説は、諏訪信仰と結びついて語られたりすることもあってか、それなりに有名なようです。もっとも、柳田自身が後にこの仮説を顧みなかったこともあり、それ以後に研究が進んだとは言えず、今でもこの仮説についてのきちんとした評価は確立していないようです。私は結構好きなのですがね。
 この辺りは生贄や人柱、境界の話とも結びついて、中々面白い所なのですが、別のところで書いていますし、深入りするときりがなくなりますので、この辺りで。

 今回は、敢えて唐傘お化けではなく、一眼一足の怪の方を主に据えてみました。で、何となくそんな風に見えるポーズを取ってもらいました。あくまでもそんな風に見える、だけですよ? 魔理沙との会話を読むと何となくこんなことも考えてしまいますが。
 詞書きの方も全面的に柳田説に拠りました。なんだか“愉快な”忘れ傘に相応しくない気もしますが……。なお、「恠」は「怪」の異字体です。
 一方、鳥山石燕の画図百鬼夜行シリーズには「骨傘(ほねからかさ)」という傘の化け物の項目があります。そちらの詞書きを取り入れようかとも思いましたが、ちょっと煩雑なのと内容がいまいち噛みあわないように思えたので止めました。ただし背景をちょっとだけ参考にしました。


参考文献
  高田衛監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』国書刊行会1992
  柳田國男「一目小僧その他」(『定本柳田國男集(5)』筑摩書房1962)
        「山の人生」(『定本柳田國男集(4)』筑摩書房1963)
        『妖怪談義』講談社1977
  谷川健一『青銅の神の足跡』集英社1989
  小松和彦『異界を覗く』洋泉社1998
  村上健司編著『日本妖怪大事典』角川書店2005
 ほか


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