隣のミシャグジ様 −我らが隣人の神様− 東方風神録のエキストラボスとして登場した土着神の頂点、洩矢諏訪子さん。彼女は古代の祟り神“ミシャグジ様”を束ねていた神様とされています。 “ミシャグジ様”は信濃地域を中心に各地で信仰されていた神様です。特に諏訪大社では大きな位置を占めていました。“ミシャグジ様”=洩矢神の末裔たる神長官守矢氏が神事において重要な役割を果たしていたことは良く知られています。 と言う訳で、諏訪地方の情報は巷に溢れていますので、ちょっと違う方向から見てみたいと思います。 諏訪明神が日本全国に祀られているのと同様に、ミシャグチ様も諏訪地方に限らず各地に祀られています。ここではその一例として私の近くにあった“ミシャグジ様”を祀る社をご紹介したいと思います。 本当は中々諏訪へ行かれないのが悔しいから……。 |
![]() 「東にしか無いのは社宮司(しゃぐじ)という神である。(中略)信州の諏訪が根元で、今は衰へてしまった土地の神の信仰では無いか」 (柳田國男「地名と歴史」1934) |
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これから紹介するのは、以前から小祠や路傍の神に興味があり、チェックしていた場所です。 私の住んでいる場所から自転車で回れる程度の場所にあるものです。 ★社宮神 しゃぐうじん(田畑神社 でんぱたじんじゃ) |
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諏訪神社の近くにある社宮神(しゃぐうじん)です。 三叉路の一方の路に沿うような形で社地があります。社殿や鳥居自体は新しいものです。しかし、社自体は古くからあるものとのことです。また、諏訪ミシャグジ神信仰の研究者、今井野菊氏の「御社宮司の踏査集成」にも掲載されている神社です。 この地は、藤沢宿にちかい街道筋で、江ノ島詣でや大山詣で、あるいは鎌倉に向かう人々が行き交った所でした。地名「辻堂」からもこうした街道が交わる重要な地点であったことがうかがえます。 祭神は天照大神の別名とされる大比瑠女神です(社殿の中には大日霎女貴(おおひるめのむち)とありました)。何故社宮神の祭神が大比瑠女神なのかは良く分かりませんが、別名を田畑神社と称することから、農耕・豊饒神としての性格が強まった結果ではないかと思います。本来は所謂“ミシャグジ様”であろうということは、ごく近くに諏訪神社があり、例祭の日にち(7/25)も同じであることからも想像できます。 御神体が何かが分かれば、より確実なことが言えるのですが。 |
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★諏訪神社(すわじんじゃ) こちらがこの辺り、旧辻堂村鎮守の諏訪神社です。 祭神は勿論、建御名方神と八坂刀売神です。例祭が7/25,26に行われ、その際には山車が繰り出します(山車は市指定文化財)。 社伝には色々とあるようですが、正確な創建時代は明らかではないようです。中世以降の関東地方への諏訪信仰の広がりによるものではないでしょうか。 社殿はわりと最近建て直された新しいものです。中央の写真の右側に見える木の根が昔の御神木だそうです。 一番下の鳥居が旧鳥居です。何故か本殿の向きと90度異なっています。 そもそもこの社地は宝泉寺という寺院の隣にあり、この鳥居や鐘楼は宝泉寺の土地にあります。かつて宝泉寺が諏訪神社の別当寺であった名残だそうです。 この辺りの総鎮守で、写真を撮りに行った日も近所の人達が境内の掃除をしていました。お祭りも結構盛んです。残念ながらというか、私の家の氏神は鵠沼稲荷なのですがね。 なお、諏訪神社の近くには四ツ角があり、この辺りの街道の結節点でもあります。もしかすると「辻堂」の元となった辻は、ここのことかも知れません。付近には諏訪神社、社宮神だけでなく、熊森権現(西行の歌碑あり)や天王社、稲荷社、八幡社、日枝社、白山神社など小規模な社が固まっています。 少し注意すると、石仏、道祖神の類もあります。勿論これは何処にでもあるものなのですが。 下左は宝泉寺境内にあった石仏です。三猿が彫られショキラをぶら下げる青面金剛なので、庚申塔ですね。下右はやはり近くの道祖神です。松の木の根本に、いくつもの石が祀られています。 |
![]() 諏訪神社(正面) ![]() 諏訪神社社殿 ![]() 諏訪神社旧鳥居 |
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![]() 庚申塔(宝泉寺境内) |
![]() 道祖神 |
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![]() 子ノ神社 |
諏訪社から東へ500メートルほど離れた所に、子ノ神社(子ノ権現)という小社があります。諏訪神社と関わりの深い社です。例祭も7/26で諏訪神社と重なります。 祭神は久延比古神(くえひこのかみ)です。久延比古は案山子のこととされます。農業と関わりがある神様ですね。興味深いのは『古事記』で語られる挿話で、少名毘古名神が現れたとき、誰もその神の事を知らなかったので、“たにぐく”に尋ねた所、「久延毘古なら知っている」と答えたというものです。この“たにぐく”は谷蟆でカエルのことだとされます。久延毘古(=久延比古)はカエルと関わりがあるのです。つまり、案山子もカエルも共に、田の神であり、土地のあらゆる事に通じた大地の精霊と見なされていたのでしょう。 しかし、通常子ノ神と言えば、方位の神様とされる事が多いです(子ノ聖という足に関わる神様もいるようですが)。北方を護る神様という訳です。星辰信仰とも関わる神格だと言われています。 また、子は十二支の鼠と結びつけられるので、鼠を神使とする大黒様が祀られていることもあります。つまり子ノ神は大國主神とされることもあるのです。 それにしても、この祠、山車の倉庫に隠れて非常に分かりにくい場所になっています。 |
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★社宮司神社 しゃくじじんじゃ(おしゃもじさま) | ||
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白旗神社(源義経を祀る)近くの坂にある社宮司神社です。 しゃもじさま、おしゃもじさま等と通称する、咳きや喘息、喉の病を治してくれる神様です。かつては奉納してあるシャモジを持ち帰って祈り、治った後に新たなシャモジを収めるという習俗が存在したと言います。古くは持ち帰ったシャモジで咽喉をさするというものが、次第に軒に吊すように変わったそうです。 こうした路傍の神様が咳病に霊験あらたかというのは、比較的良くある話で、有名なのは「関ノ姥様」でしょう。また、地蔵と同じように子供の守り神でもあり、おしゃもじさまも例外ではありません。昭和48年の回想文に記されている内容なので、大正〜昭和初期だと思われるのですが、その頃には子供の病気平癒のお礼として、赤や青の御幣を立てた赤飯を供えるというような事がまだ行われていたようです(祈願はシャモジに生年月日や名前を書いて奉納して行う)。残念ながら、今ではそのような信仰が残っている雰囲気はありません。 この神様がいつ頃鎮座したのかは不明ですが、数百年前と伝えられており、また明治十五年の幟が保存されているそうです。木造の小さな社殿は百年前の明治十年代に再建されたもののようです。 |
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さて、この祠の祭神は倉稲魂(うかのみたま)ということになっています。つまり、社宮司である同時に、稲荷神社でもあるのです。真っ赤な鳥居が連続する雰囲気も稲荷社のものに近いですね。 神殿内部を見てみると(撮影の前にちゃんとお詣りしました)、御神体の鏡があり(この鏡は昭和7年に奉納されたと言います)、奥殿の璽札は右に「巻稲荷大神」、左に「正一位稲荷大神」とあります。正面のものには二月四日初午と記されています。璽には「社宮司稲荷大神」というものがあるそうなので、恐らく中央がそれに当たるものと思われます。町内に保存されているという提灯にも「正一位社宮司稲荷大明神」とあります。 ここで祀られていたミシャグジ様は、何時の頃からか、稲荷神と習合してしまったようです。 巻稲荷などの名称があるのは、付近の稲荷社が合祀されたためなのかも知れません。 それでも、この祠は神長官守矢氏の氏神の社宮司と関連付けて考えられています。「シャグウジ」という言葉は、転地する際に土地を測ることから来ていると説かれています。つまり尺神と言う訳で、測量に使った縄を埋めて祀ったという説です。 おしゃもじさまと呼ばれるのは、シャグウジの発音がシャモジと似ていたため、シャモジさま→敬語を付けておシャモジさまとなったと言われています。元々シャモジ・杓子に関係する信仰があり、これと結びついたとも考えられます。 因みに、鏡や鏡餅の“カガミ”は蛇の事だとする説もあります。鏡餅はとぐろを巻いた蛇の姿であり、鏡も蛇の目を表すといった類の説です。 |
![]() 社宮司神社遠景 ![]() 神殿内部の奥殿 |
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以上で二時間弱の短い旅でした。 実は、市内だけでもこれ以外にも諏訪神社が四社あるのです。しかし、東日本では諏訪神社は珍しいものではないので、今回は行きませんでした。 前記の今井氏によると、ミシャグジ様を祀った神社は神奈川に50社あり、実際にはそれ以上の数が存在していると思われます(その50社には社宮司神社は含まれていないのですから)。ただし、ミシャグジ・シャグジ(石神)は境の神としても存在するので、諏訪信仰のみに関わる訳では無いと思われます。 ミシャグジ様の信仰はそれ自身非常に興味深いのですが、それはまた別の時にでも。 なお、ミシャグジ社は東京都にも15社あるそうです。長野、新潟、静岡、山梨辺りにはそれこそ無数にあります(因みに諏訪神社は神奈川139社、東京67社、資料によっては異なる可能性あり)。 そもそも諏訪大社の分社数は5000社にのぼります。北海道から鹿児島まで分布しますが、特に新潟1500余、長野1100余、埼玉300余、群馬・富山200余で、他にも福島・千葉・山梨・岐阜・鹿児島などでも100社を超えます。 |
![]() ★あなたの隣のミシャグジ様★ |
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早い話が、お諏訪様やミシャグジ様は日本全国どこにでもいらっしゃるのです。 あなたの住むすぐ隣に諏訪神社が、そしてミシャグジ様が鎮座されているかも知れませんよ? |
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※最後にお願い 各地には、ここで紹介したような小さな神様が数多く残っています。一見寂れているように見えても、地元の人々の崇敬を受けていることも多いのです。 ですから、もし見学する際には、そうした信仰対象であるということを是非念頭に置いて頂きたいと思います。また、小さな祠は私有地にあることもありますので、節度を以て臨まれることをお願いいたします。 敬意を持って向き合えば問題はありません。 因みに、小さき路傍の神々の多くは、地主のミサキ神であり、威力ある畏るべき祟り神です。 御 注 意 を ……。 |
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それではまた、因果の律が交わる時にお会いしましょう。 [おしまい] |
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★主な参考文献 ・神谷敏夫「社宮司神社」(藤沢市中央図書館『わが住む里』第37号1986) ・今井野菊「御社宮司の踏査集成」(古部族研究会『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』永井出版企画1976) ・北村皆雄「ミシャグジ祭政体考」(同上) ・金井典美『諏訪信仰史』名著出版1982 ・吉野裕子『蛇』(ものと人間の文化誌32)法政大学出版局1979 ・碓井益雄『蛙』(ものと人間の文化誌64)法政大学出版局1989 ほか |