○平成18年1月
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一念五百生
繋念無量劫の業
『太平記 巻十一』
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魂魄妖夢 | 上白沢慧音 |
上白沢慧音:人の思いとは儚くも強いものだ。
時にそれは偉業を成し遂げる原動力となり、また時には執着となって
人の一生を狂わせる。
一念五百生、懸念無量劫の業……。これは『太平記』の巻十一にある
一節だな。ほんの僅かの思いが輪廻転生を経て、五百生もの間にわた
る報いを呼び、量り知れぬ業をもたらす。
一瞬の執着でも、無量の罪業となるということだ。
執着を捨てれば輪廻を離れ涅槃に至ることができるのだが……。
そんな思いこそ、人を人たらしめているという部分があるから―――。
魂魄妖夢 :上白沢……さん。……あの。
上白沢慧音:――ん?あ、白玉楼の。
魂魄妖夢 :こ、魂魄妖夢です。……先日はどうも。
え、……と。お互い人間の血を引く者のよしみで、少し話を聞いても
らえないでしょうか?
上白沢慧音:――まあ、出自などどうでもいいのだが。
私ならかまわんぞ。
魂魄妖夢 :私はこれまで、当たり前のことが一番正しいと思ってきました。
でも、ある存在に出会って……、私は疑問を持ってしまったのです。
いえ、究極の真実に対する考えが変わった訳ではないのです。
疑問は、……そう、言ってみれば私の生きてきた姿勢についてです。
上白沢慧音:究極の真実なあ、……まあ、それについては色々言いたいこともある
が、今回はそれは関係ないのだな。
魂魄妖夢 :はい。
私は、唯無心に幽々子様に仕えて来ました。幽々子様の為ならば、ど
んなことでもしようと、春を集め、冥界一堅固な盾となることも……。
唯一念、そのことばかりを思って来ました。それが幽々子様の為と信
じて……。
上白沢慧音:一途にして真剣、それがそなたの生き方だろう?
魂魄妖夢 :―――――。
我が心の六道剣「一念無量劫」……。
私はこれを誇りに思っていました。でも……。
上白沢慧音:でも、どうしたというのだ?
魂魄妖夢 :一念五百生、繋念無量劫……。
私はその言葉の意味を考え直してみました。そして……。
唯々強い願いは、捨てるべき執着だったのでしょうか?
私が幽々子様に対して抱いていた思いとは何だったでしょうか?
……はぁ、私は太平記には詳しいと思っていたのですけど。
上白沢慧音:まあ、仏教的見地から見れば、執着は良くないことではあるのだが。
魂魄妖夢 :宗教的な意義は重要ではないのです。
幽々子様の為になると信じてきたことが、もしそうではなかったら。
私がただの妄執に囚われた半人半霊に過ぎないとしたら……。
私の存在意義とは何なのでしょうか。
上白沢慧音:……………。
魂魄妖夢 :私は冥界の亡霊に仕える者。その癖、生きている人間でもある……。
そんな半端な私が、大手を振って悟りを振りかざし、未来永劫斬など
と永遠を弄ぶ。強い願いさえ妄念に過ぎないならば、そんなことは本
来許されない事なのかもしれない。
それに、もし私が居なくても、世界が正常に動くなら、私の存在とは
一体……。
上白沢慧音:……まあ、これから話す事は、しがない半獣の個人的な考えに過ぎな
いのだが、聞いてくれないか。
確かに我等はどちらの範疇にも属することのできぬ半端な存在だ。
だがそんな境界的、マージナルな存在だからこそ、異なる世界間の橋
渡しをすることができるのだ。そなたは冥界と顕界を行き来し、私は
人間と妖怪との間に立つ。博霊の巫女やスキマ妖怪のような強力な力
を持たぬ我等がこうした境界を超えることが出来るのは、我等がマー
ジナルな存在だからに他ならぬ。
そして、そうした橋渡し的存在は、きっと世界の維持の為に欠くこと
はできないものなのだ。閉ざされた世界は疲弊するばかりだ。
魂魄妖夢 :……それでも、ならばこそ、強い思いは私の周りの多くの者を執着の
無間地獄へと巻き込んでいたのではないかと。
実際には強い思いは唯私の為だけのものであって、本当は周囲を妄念
と執着へと引きずり込むものでしかなかったとしたら……。
私は誰かのためという形をとることで、周りも自分も欺していただけ
ではないのかと。
上白沢慧音:確かにな……。我等マージナルな存在は不安定なものだ。
だからこそ、何か強い思いを持つことで自己を保っている。だが周り
に対する思いも決して嘘では無かろう。その思いが自分にとって本物
ならそれでいい。私は人間を守る。そなたや紅魔館のメイド長も守る
べきものを持っているではないか。守るべきものがあればこそ、強い
思いも生まれるのだ。そしてそれは己で背負って行くのだ、例えそれ
が深い業であろうとも。そなたの剣術もスペルカードも、強い思いの
現れに他ならぬ。
強い意志は確かに執着となり、深き業を呼び寄せる。だがそれは信念
になり、何にも負けずに願いを叶え、目的を完遂する力ともなり得る
ものなのだ。
あの太平記の言葉も、単に強い念や願いが悪であると言っているので
はない。むしろ人の心には大きな力が秘められている、ということを
表したものと考えることもできるのだ。
魂魄妖夢 :願い……。
上白沢慧音:例え何度生まれ変わろうとも、どんなに時が過ぎ行こうとも、亡霊の
嬢を護るのだろう?
それがそなたの思いなら――。
魂魄妖夢 :―――――。
……はい。そうでした。
如何なる事があろうとも、私は幽々子様のことを……。
……そう、それが我が願い、我が想い。当たり前の真実。
……もしそれが業であるのなら、私は喜んでそれを受け入れよう。
上白沢慧音:ふふ……。では、さらばだ。
白玉楼の主に宜しく伝えてくれ。
魂魄妖夢 :……あの、……最後に一つ、お聞きしたいのですが。
上白沢慧音:――?、なんだ?
魂魄妖夢 :正月早々、こんな暗い話題でよろしいのでしょうか?
なんだか、その……。
上白沢慧音:う……。
ここの管理人の性分だからな、こればかりはどうにも仕方ないな。
上白沢慧音:……実は今回は太平記の文章について附記がある。
もし関心があれば下のリンクから移動してくれ。
『太平記』当該部分についての附記