○平成19年5月
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Vixi et quem dederat cursum fortuna peregi.
Publius Vergilius Maro ‘Aeneis’Vol.4,653
私は生き終えた。運命が私に与えた道程を,
最後まで歩き抜いたのだ。
プブリウス・ウェルギリウス・マロ『アエネイス』第四歌,653
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霧雨魔理沙 | パチュリー・K |
パチュリー | :……………。 :……私は生き終えた。 :……運命が私に与えた道程を、……私は最後まで歩き抜いたのだ。 :これはディードーの最期の言葉。 :……非情な運命に抗えなかった、悲しき人間の想い。 :―――――。 :!!! :……来たれ、偉大なる大地の力、炎の神秘、深淵の言葉、虚空の霊よ。・・・・大いなる精霊のあらゆる呪文と鞭とを我が元に………!! |
霧雨魔理沙 | :のわっ!!! :ったく、危ないじゃないか。 |
パチュリー | :……ちっ。 :はしこいネズミだわ………。 |
霧雨魔理沙 | :ん〜?? :誰かの死に際の言葉か。 :時の流れを拒んだパチェでもそんなものに興味があるのか? |
パチュリー | :……本の知識は私そのもの。外の世界だろうと古典だろうと関係ないの。 :あなたこそ、偶には怪しい魔導書じゃない本も読んだらどう?とは言えここからの貸し出しは一切お断りよ。 |
霧雨魔理沙 | :………。堅苦しい歴史家みたいなこと言うなっって。 :えーと、兎に角ローマ時代の文学だろ? |
パチュリー | :まあ、そうなんだけど。 :これは英雄アエネイスを描いた叙事詩、ウェルギリウスの『アエネイス』の一節よ。 :「ウィークシー・エト・クエム・デーデラット・クルスム・フォルトゥーナ・ペレギー」 :……そう、カルタゴの女王ディードーの最期の言葉ね。恋に破れたディードーが自害するときの悲しき言葉。 |
霧雨魔理沙 | :『アエネイス』か。……トロイア戦争だっけ? |
パチュリー | :「戦と一人の英雄とを私は詠う……」 :英雄アエネイアスAeneasがトロイア落城の後、放浪の果てにローマの礎を築くまでの物語ね。ウェルギリウスの代表作よ。ホメロスの『イリアス』、『オディッセイア』の影響の下に10年の歳月をかけて完成されたの。……ラテン文学中の白眉と言われているわ。 |
霧雨魔理沙 | :ふーん。そうなのか。 :そう言えば以前の「愛は統てのものを支配する。されば我等も愛に従わん」の言葉もウェルギリウスだったっけ。 |
パチュリー | :あれは『牧歌』。 :ディードーDidoはカルタゴの悲劇の女王。彼女は嵐にあって漂着したアエネイアスの一行を温かく迎えた。彼女も夫を殺されて国を逐われていたから……。「私は決して不幸を知らないわけではありません。それ故、不幸な人に援助の手を差し伸べる術を学んでいます」と。 :……そして彼女はアエネイスと情熱的な恋に落ちるの。亡き夫との誓いと恋の狭間で彼女は苦悩する……。結局彼女は愛を選んだの。 :そして二人は結ばれる………。ところがそれも束の間、ユピテル、いえ運命によって二人は引き裂かれてしまうの。アエネイスは彼女を裏切り、密かに船出を試みる。それに気付いたディードーが不実をなじっても、アエネイスは唯「我が意に非ず、天命によるのみ」と言うばかり……。 :―――そしてアエネイスは去ってしまう。ディードーとの愛を捨てて。ディードーは嘆きのあまり、自ら死を選んだの。火葬の炎の中で、アエネイスに贈られた剣によって……。 |
霧雨魔理沙 | :その時の最後の言葉がこれだったのか。 :悲しい物語だな。 |
パチュリー | :そうね。 :vixiとは“生きる”を意味するvivoの完了形(一人称・単数)なの。そしてそれは“死”を意味するわ。……そう、ラテン語では“生きる”の完了形で死ぬことを表すの。生を全うした者に必ず訪れる死。人間にとって死ぬことは生きることの一部なのね。 :……彼女は運命への怒り、悲しみを自害という形でしか表すことができなかったのね。 |
霧雨魔理沙 | :……そうかな? :いや、この不幸な女王の死に臨んでの言葉には、もっと別な意味があるんじゃないか? :確かに運命は残酷だ。でも、元々一人の人間が運命なんて大層なものをどうこうできる訳は無い。ならばこの言葉は自分の歩んだ生き方の肯定と言えるんじゃないかな。 :逃避行、カルタゴの新都、アエネイスとの恋。どうにも変えられない運命という軛の下でも、きっと彼女は己の意思に従い懸命に生きたんだ。結果は確かに悲劇だったけれど、きっと彼女は自分の生き方に悔いは無かったと思うぜ。だからこその「生き終えた」、「最後まで歩き抜いた」の言葉なんだろう。 :例えそれが運命によって与えられたものにすぎなくても、な。 :ま、そう考えなきゃ、ちょっと悲しすぎるぜ……。 |
パチュリー | :……何処までも前向きで楽観的なのね。 :……残念ながら私にはそうは思えない。もう一つ、ディードーの有名な言葉があるのだもの。 :彼女は呪いの言葉を叫ぶ、そう、「我が骨より、誰か復讐者よ、出でよ」と。 :―――カルタゴの復讐者は、おそらくはポエニ戦争の紫電のハンニバル。歴史に影を落とすほどの恨み、怒り、そして悲しみ。……でも、……それでもやはりローマには敵わなかった。 |
霧雨魔理沙 | :……………。 |
パチュリー | :人間的な“愛”は、結局“運命”を覆すことはできなかった。 :限りある時間しか持たない人間故の悲劇。人間は運命に抗うことはできないの。……留まることのない時の流れがあらゆるものを流し去るから。 :……儚き人間は残酷な運命の前で唯立ちつくすのみ。運命に抗うことも、そして真理を探求することさえもままならないわ……。 :だから―――。 |
霧雨魔理沙 | :違うね。 :運命なんて、偶然の出来事や自由にならない現実を説明づけるための方便さ。 :確かに人一人の持つ時間は限られてる。でもだから何なんだ?終わりに向かって一歩一歩歩むからこその人生だぜ?自分の運命は自分で決める! :そりゃ、何かを完全に成し遂げるには短いかも知れない。一人で真理に達するのも無理かも知れない。でも、きっと私の後にも誰かがそれを引き継いでくれる。そもそも大勢の先人の歩んできたその続きに私だって生きているのだから。そんな世代を超えたつながりこそが人間の力だぜ。 :だから、最後の最後に、良く生きてきたと振り返る事ができることが大切なんだ。 |
パチュリー | :あのね、私はやはり違うと思うの……。 :人間のように、手持ちの時間が限られていては、能力的に可能な事さえ出来なくなってしまうわ。折角積み重ねてきたことが失われてしまうのよ。それは全く無駄なことではないかしら。ねえ、そう思わない?世代を超えたりしなくたって、知識と経験を無限に重ねて行けば、一人でも強力な力を手にすることができるのよ。 :そうすれば、死ぬことでしか抗えなかった運命にだってきっと勝てるわ。そう、果てしない時と力があれば、どんな困難でさえ打ち克つことができるはずなのだから。 |
霧雨魔理沙 | :何言ってるんだ。そんなのは妖怪の論理だぜ。 :世の中分からないことがあるから面白いんだし、変わってゆくのが生き物だ。 :世の理に背いたってろくな事はないぜ。 |
パチュリー | :―――――。 :ね、貴女、星の魔法を使うでしょ。ならば恒星の輝き、永遠の光をを手に入れたいとは思わないの?それこそ本当の星の力よ。 |
霧雨魔理沙 | :ちっちっ。 :恒星だって生きてるぜ。生まれて生きて、死んでゆくんだ。 :星の光が美しいのは、限りある命を文字通り燃やしているからだぜ?そして燃え尽きた星屑の小さな欠片から、再び新しい星が生まれるんだ。これが本当の星の魔法さ。 :それにしても、今日のパチェちょっと変じゃないか?恒星の一生なんて常識だろ。 |
パチュリー | :そ、それはそうなんだけど。 :私が言いたかったのは……。……その。 |
霧雨魔理沙 | :??? |
パチュリー | :………。 :あなたは、捨虫の―――。 |
霧雨魔理沙 | :あー。何だ? :私の“借りてる”本か?……別に死ぬから返さない訳じゃないぜ? :要は生きてる間は必要って訳だ。当然死ななけりゃ、ずーっと借用のままだぜ。それでも良いのか?よく分からん奴だな。 |
パチュリー | :そうじゃないの……。あのね……。 :―――――。 :あ、それ、私の図書館の魔導書!! :ちょっと!待ちなさい!! :……旧き契約により我に力を与えよ、ドリアード、サラマンドラ、グノーム、ウン……、けほけほ。ぜーぜー。 :あ、もってかないで〜。 :………。しくしく。 |
霧雨魔理沙 | :ほくほく(ばびゅーん) |
パチュリー | :……………。 :……違うの。 :これまで私はここで、こうして居ることに満足していた。……無限の知識に囲まれて。 :でも、今は違う。私は変わってしまった。今や此処は枯れた本、死んだ知識の墓場とすら感じる時がある。何故? :私が知っているから?時が全てを奪い去るということを。私が知っているから?人間が弱く儚いものであることを。 :……このまま長く、長く生きて、真理を手に入れたとしても。私はその時たった独りなのかもしれない。それに何の意味があるのかしら。 :私の望みは……。 |