今月の御言葉

○平成21年7月

慧音先生 上田敏「山のあなた」『海潮音』


 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいふ。
 噫、われひとゝ尋めゆきて、
 涙さしぐみかへりきぬ。
 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいふ。

Über den Bergen  / Karl Busse
  Über den Bergen weit zu wandern
  Sagen die Leute, wohnt das Glück.
  Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
  kam mit verweinten Augen zurück.
  Über den Bergen weit weit drüben,
  Sagen die Leute, wohnt das Glück.

    カアル・ブッセ(上田敏訳)「山のあなた」『海潮音』(※註1)

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東風谷早苗 上白沢慧音


「照日の畠の収穫(とりいれ)に、歓喜(よろこび)の野の麥(むぎ)苅に、
 母なる自然の前に額き、平和の感謝捧げなむ」(註2)




先月より続く)

東風谷早苗 :「奇跡」ですか……。上白沢さんは優しいのですね。闇の強大な力が未だ生きる、……そして人外の跳梁するこの世界に居てもなお。
上白沢慧音 :歴史を振り返ってみれば、ここは十分に平和だな。私たちは恵まれた時代に生きているのだ。
:ただここでは自然への敬意が、未知なるものへの畏れが生きている。そして人間の思い通りにならないことが、ちょっと多いだけだ。
東風谷早苗 :恵まれた時代……、そうですね。“向こう側”も、豊かで恵まれた時代ではありました。しかし、それ故に私たちは自然への畏れ、そして他者への共感を失ってしまっていたのかもしれません。身の回りにモノは溢れ、天災すら完全に克服できるのではないかとさえ思っていたのです。
:それが天空と大地がもたらす恵みに対する感謝の意を失わせ、信仰心すら揺るがしていたことに気付かずに。
:―――――。
:そんな中で、現人神などと持ち上げられていた私は、その変化に気付き、それを止めることが出来ませんでした。愚かなことです。私はいつしか風祝である前に一人の弱い人間に過ぎないということを忘れてしまっていたのかもしれません。私は、周囲から特別な力を持つ者として見られることに、余りに慣れてしまっていたのでしょう。
:……私の力は、そんな儚き人間の為のものであったはずなのに。
上白沢慧音 :自分のことを正しく顧みることができる者は多くはない。それに、己の行いを正すことに遅すぎたなどと言うことはない。
東風谷早苗 :一方で、こちらの世界では私は特別な存在ではないということも思い知らされました。……そして、私は自分の役割が解らなくなってしまったのです。ここには私より大きな力を持つ人間が大勢いるのですから。
:私が風祝としてここに存在する意味などあるのでしょうか。今の私には――目指すべき未来が見えなくなってしまった気がするのです。
上白沢慧音 :ああ、あの連中ねぇ……。私には、そなたも十分同類であるように思えるがね。
:とまれ、彼女らは力に見合った役割を担っているのだ。もっとも、自分でそれを理解しているかどうかは分からんがな。黒白の魔法使いだって、紅い館の従者だってこの世界に必要な存在なのだ。そして今ではそなたもな。
東風谷早苗 :私も、ですか? でも、守矢の神社のためを考えると、本当は私などではなくて……。
上白沢慧音 :はぁ……。そういった悩みは、あの山の二柱の神様に直接相談した方が良いと思うぞ。
東風谷早苗 :いいえ、御二方の前では弱い所は見せられません! ……これまで、守矢の風祝でありながら、私は迷惑を掛けっぱなしだったのです。
:だから、こんな今だからこそ、心配をかけたくないのです。
上白沢慧音 :ううむ……。そなたは真面目過ぎるのかもしれぬな。思い詰めても未来は開けぬぞ。
東風谷早苗 :し、しかし、私は確固たる“何か”を手に入れるためにこうして生きてきたはず!……そう、確固たる「幸福」とでも呼べるものを。
上白沢慧音 :“確固たる幸せ”の姿、あるべき未来、……か。どこかにあるはずのそれを見失ってしまった、そういう訳だな。
東風谷早苗 :――はい。
上白沢慧音 :……そうか。それでは、そんなそなたに詩を一つ送ろう。
:「山のあなたの空遠く
 「幸(さいわい)」住むと人のいう。
 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
 涙さしぐみかえりきぬ。
 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいう。」
東風谷早苗 :「山のあなたの空遠く……「幸」住むと人のいう」
:ああ、ええと。これは確か上田敏(※註3)さんの『海潮音』(※註4)でしたか。
上白沢慧音 :そう、カアル・ブッセ(※註5)の詩Über den Bergenを訳したものだ。学校でも習ったんではないかな? もともとは上田らが主宰した『万年艸』の明治36年(西暦1903年)4月号に掲載されたものだ。
:七五調の洗練された訳詩として長く親しまれてきた作品だな。
東風谷早苗 :ことばの響きが美しいですねぇ。
:もっとも、用いられている言葉が、私には結構難しかったですが。「尋(と)めゆきて」とか。
上白沢慧音 :ははは、それは仕方あるまい。既に百年以上の時を経ているのだからな。
東風谷早苗 :それだけ長く愛されてきた詩であるということなのですね。
上白沢慧音 :そう、欧州近代詩の紹介者、日本近代における訳詩の第一人者としての上田柳村の面目躍如といった所か。
東風谷早苗 :確か、上田さんは語学に長けていたのでしたよね。小泉八雲さんに認められていたとか。
上白沢慧音 :学生時代には「一万人中の唯一人」とまで評されたようだな。八雲が辞任した時には後任として夏目漱石らと共に東京帝大の講師になってもいる。
東風谷早苗 :そうだったんですか。
上白沢慧音 :彼の祖父東作は外国奉行配役として福沢諭吉らと一緒に渡欧した経験を持っている、また、父絅二も渋沢栄一らと共に渡欧している。さらに、母の妹悌子は明治4年に渡米した日本最初の女子留学生の一人だった。そんな家庭環境も影響していたのかもしれないな。
東風谷早苗 :なるほど。
上白沢慧音 :ところで『海潮音』だが、この発行によって新体詩を一躍「近代詩」に発達せしめたとの評価もある。さらに、『海潮音』は、使用された活字や扉頁の裏に俗謡を掲げる手法など、その形式も含めて当時の詩人たちに大きな影響を与えたとされている。
東風谷早苗 :今の私たちには想像することはできませんけれど……、当時の人々にとっては衝撃的な、新しいものだったのですね。
上白沢慧音 :そうだな。薄田泣菫や北原白秋といった詩人も大きな影響を受けたと言うからな。
東風谷早苗 :それに翻訳というのは、難しいものですものね。特に文学作品となれば一層に。
上白沢慧音 :ああ。これは上田にとっても一種の創作活動であったと言うべきであろう。彼自身『海潮音』の序で「所謂逐語訳は必ずしも忠実訳にあらず」と書いている。
:この他、訳詩に当たって万葉集や源氏物語といった日本の古典や仏教に由来する語彙を利用しているのも特徴かな。
東風谷早苗 :翻訳した結果も、一つの“詩”として成立しているべきだという訳ですね。
上白沢慧音 :一方で、そのような点こそが、折口信夫などが「文学を翻訳して文学を生み出した」として批判した所でもある訳だがな。
東風谷早苗 :ふふ。私はこうした美しい言葉によって紡がれる作品は嫌いではありません。本当に美しい言葉であれば、人の心を動かすことができるはずです。そしてこの詩にはそうした力がある。
上白沢慧音 :そう、それにただ“美しい”だけではない。上田敏の業績は単なる西洋近代詩の導入・紹介に止まらない。訳詩に用いる語彙や形式についても様々な先駆的工夫を行っている。だからこそ、新たな潮流が起こりつつあった当時の詩壇に影響を与えることができたのだ。
:例えば上田敏は訳詩に当たって、雅文に仏教用語を含む漢語を加えた「和漢混淆体」を造り上げた。これが先行する森鴎外の『於母影』には無かった、新しい特色だったのだ。
東風谷早苗 :私から見ると文語調の詩は古風で、そんな所が魅力でもあるのだけれど。当時の人々にとっては、むしろ新しくて前衛的なものとして受け止められたんでしょうね。
上白沢慧音 :時が移れば同じ作品についても、そこから受ける印象や意味づけは変わってゆく。評価が変化することもあろう。だが、その訴えるものが本質を突いているならば、その価値は普遍的であり、時代を超えて我等の心を揺さぶるだろう。
東風谷早苗 :……………。
:「涙さしぐみかえりきぬ」
:……それでも、私たちは遙かなる山の彼方を目指すべきものなのでしょうか。実在せぬかもしれない「幸い」を求めて。
上白沢慧音 :そう……、生きるとはそうしたものだ。「幸い」、これは理想の生き様とも人生の目標とも言い換えることができよう。誰もが願い、求めようとするもの。だが、それは一面では決して手に入れられぬもの。追いついたと思っても常に先へ先へと逃れてしまう蜃気楼のようなものだ。
東風谷早苗 :それでは、私たちは絶対に「幸い」に、幸福には辿り着けないのでしょうか……。
上白沢慧音 :……否。むしろ、辿り着くことのできる地点の更にその先あるものこそが、本当の“幸い”だと言えるのではないだろうか。手が届きそうで届かない、そんな一歩先の、高い目標を目指して常に歩み続ける。その過程こそが大切なのではないかな。
東風谷早苗 :人生においては、安直な到達点など無いということですね。
:例え「幸い」の形が見えずとも、いいえ、無いと解っていても、そこへ向かって進むことにこそ意義がある。そういう訳ですね。
上白沢慧音 :ああ、生きている限り、さらなる高みに向かって前進し続ける。……だから、「幸い」はいつでも“山のあなた”にあるのだよ。
:幸せとは、まだ見ぬ未来へと託した希望。
東風谷早苗 :そしてその未来は自ら拓くもの……。
:解りました。私は、この幻想卿を、――私たちの故郷を、素晴らしいものにするために自らの役割を果たして行きたいと思います。
:……この命有る限り!!
上白沢慧音 :――ふふっ。
:「神、そらに知ろしめす
 すべて世は事も無し」(※註6)
東風谷早苗 :え?
上白沢慧音 :ふふふ。何もそんなに悲壮になる必要は無い。青い鳥の例えもある。……緩やかに流れる時間、穏やかなこの世界。落ち着いて周りを見てみるが良い。異変や妖怪騒ぎが無い幻想卿も悪くはないだろう。
:変に構えたり、気負うことはない。何気ない平和な日常の中にこそ、そなたたちのあるべき姿を見出す鍵があるかもしれぬ。
東風谷早苗 :―――――。
:はい! ありがとうございます!
:……それでも、やっぱり私は弱い人間ですから、また道を失って迷う時があると思います。その時には、また話を聞いて頂けますか?
上白沢慧音 :ああ、もちろんだ。此処の扉は何時でも開かれているよ。



※脚注
註1: 「あなた」=彼方
「尋(と)めゆきて」=探し求めて行って
「涙さしぐみ」(涙差し含み)=涙ぐんで
註2: 上田敏訳『牧羊神拾遺』より
註3: 上田敏(明治7年〜大正5年[1874-1916]):明治から大正期にかけて活躍した詩人、英文学者、評論家。
号は柳村。42歳で急逝。ヨーロッパの文学、特にフランスの象徴詩を日本へ紹介したことで知られる。代表作に訳詩集『海潮音』、『牧羊神』がある。
註4: 『海潮音』:上田敏の訳詩集。明治38年(西暦1905年)10月本郷書院から発行、時に上田敏満31歳。本書は森鴎外に捧げられている。詩壇への影響は大きく、象徴詩時代を出現せしめたという。「山のあなた」を始め、現在まで愛唱されている詩も多い。
註5: カアル・ブッセ(Carl Busse)1872-1918:ドイツの浪漫派の詩人。抒情詩をよくし、民謡詩人(Volksdichter)と称された。
註6: 上田敏『海潮音』「春の朝」(ブラウニング)より



参考文献
 ・上田敏訳(山内義雄、矢野峰人編)『上田敏全訳詩集』岩波文庫1962
 ・矢野峰人編『上田敏集』(『明治文学全集31』)筑摩書房1966
 ・wikipedia「カール・ブッセ


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