御社宮司様 洩矢諏訪子

御社宮司様

 御社宮司様       時に樹木の神
  時に星辰の神
  掛け巻くも畏ろしき大荒神
  大地を裂き拓きて穣りを約す
  諸人大事に臨みては悉く其の神意に従ふとぞ
 土着神の頂点こと、洩矢諏訪子さまです。
 
 かつて洩矢の王国に君臨した、旧き大地母神。
 あーうー!!

 来ましたねー。ミシャグジ様ですよ、ミシャグジ様!!(正確にはミシャグジ様を束ねていた神様)
 かの、畏ろしき祟神をこんな可愛らしいキャラクターにしてしまうなんて……。

 ミシャグジ様(御作、御社宮司、御射軍、赤口……)は色々謎の多い神様です。名前の由来も作神とか、開拓を意味する裂く地だとか、諸説あります。その本体も石の神、樹木の神、星の神と様々で、伽藍神や荒神と同体とされることもあります。稲荷や道祖神と集合している地域も多いようです。風神録の背景となっている諏訪地方について見てみると、ミシャグジ様は諏訪明神を祭祀する集団(諏訪社の大祝を頂点とする)より古くから諏訪の地に住んでいた人々によって信仰されていた神様というのが通説のようです。ある時、諏訪明神を奉じる集団が侵入してきて、祭祀権の交替があったのでしょう。
 それでも、ミシャグジ様(洩矢神)に対する信仰は根強かったらしく、諏訪社の下でも神長守矢氏を通して連綿と受け継がれたようです。そんなわけで、諏訪社の重要な祭事では必ずミシャグジ様も勧請されるのです。また、諏訪では何か大事が起きた時には、ミシャグジ様を降ろして託宣を聞いたといいます。源平の争乱の時などには、どちらの勢力に付くかもミシャグジ様の託宣に依ったそうです。
 これらの事に関しては、風祝とも関連付けて日記で文章を書いていますので、まとまったらサイトにアップしたいと思います。

 結局、暴風神・狩猟神にして農耕神である諏訪明神と、古い豊饒神で樹木・大地・水を司る祟り神のミシャグジ神は、いつの間にか緩やかに融合し、謂わば互いに離れられない表と裏のような関係になったのではないでしょうか。
 二つの文化圏の衝突が起きた結果としては、幸せな例であるように思えます。
 これは八坂様を描いた時にも少し述べたことですね。
 まあ、そもそも人々の信仰はそう言った性質を持つものなのかも知れません。あのキリスト教でさえ、各地に伝播して行く過程では現地の異教的要素を取り込んでいったのですから(クリスマスなどの年中行事、聖人信仰、マリア信仰等々)。

 ところで、ミシャグジ様及びそれに類似する神格は日本各地に祀られています。管理人の近くでもミシャグジ様は祀られていました。これらは民俗学的な研究対象ともなっています。諏訪のミシャグジ様、及び各地の石神・杓子神の信仰については、興味深い話題ですが長くなるのでこの辺りで止めておきます。

 さて、絵は解る人には解る、アレがモデルです。と言うか、かなりそのまま……。電撃裏拳です。丑の刻参りです。
 ちょっと絵柄が寂しかったので小さな祠を足してみました。実際は御柱ではなく自然の木や巨岩に降臨するらしいのですが。
 ミシャグジ様は恐ろしい祟り神(荒神)的な部分が強調されがちですが、その本体が遊び好きで楽しい神様という解釈は良いですねぇ。昔は神様ももっと身近だったのかもしれません、家々でも神様と食事を共にすることで饗応していた訳ですし。そう、神事は皆が楽しむものでもあったのです、鳥獣戯画の田楽みたいに。

 彼女が心から楽しく過ごせるようになった時、幻想郷はきっと豊かな素晴らしき世界となるでしょう。


参考文献
  高田衛監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』1992国書刊行会
  古部族研究会編『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』永井出版企画1976
  古部族研究会編『諏訪信仰の発生と展開』永井出版企画1978
  信濃毎日新聞社編『諏訪大社』信濃毎日新聞社1980
  金井典美『諏訪信仰史』名著出版1982
  宮坂光昭『図説・諏訪の歴史 上巻』郷土出版社1983
  三渡俊一郎「シャグジ(社宮神)の始源に関して」(日本民俗学会『日本民俗学』141号、1982年5月号)
  吉村睦志 「しゃぐじ神信仰覚え書き」(1)〜(4)(歴史民俗学研究会編『歴史民俗学』6号、批評社1997年2月号)
  谷川健一『神・人間・動物』講談社1986
  藤森栄一『銅鐸』学生社1964
  吉野裕子『蛇』法政大学出版局1979
  山本ひろ子『異神』筑摩書房2003
  柳田國男「石神問答」(『定本柳田國男集12』筑摩書房1971)
 ほか


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