妖怪書類纂 −妖怪学ブックガイド−(承前)

 0.緒言
 1.柳田國男著 『妖怪談義』
 2.小松和彦著 『妖怪学新考』
 3.岩井宏實監修・近藤雅樹編 『図説日本の妖怪』
 4.宮田登著 『妖怪の民俗学』
 5.鳥山石燕画 『画図百鬼夜行』
 6.小松和彦著 『憑霊信仰論』
 7.村上健司著・水木しげる画 『日本妖怪大事典』
 8.鬼の本
 9.河童の本
 10.怪談集・説話集

4.宮田登 『妖怪の民俗学』

 民俗学系統の書籍などを見てみると、その対象は主に農村社会であったことに気付かれるかと思います。かつて日本人のほとんどは農民であり、民俗学が生まれた近代にもそれは変わりませんでした。従って、柳田國男を始めとする民俗学者は、こうしたムラの共同体を研究の対象としてきたのです。しかし、現在ではこれら古くからの共同体は失われ、所謂マチの中に暮らす人々が大多数を占める様になりました。それでは、これまでの民俗学に収まらない、それらの都市を舞台として語られる現在の怪異や妖怪をどのように捉えてゆけばよいのでしょうか。

 本書『妖怪の民俗学』はこれまでの民俗学(妖怪学)に欠けていた都市的な視点を打ち出した意欲作です。江戸期から現代までの多彩な話題を語りながら、都市に出現した境界領域とそこに立ち現れる怪異について考察しています。また、著者宮田登は、柳田國男以来、まともな研究対象としてはほとんど扱われてこなかった妖怪、特に近現代の都市の妖怪伝承を、改めて民俗学の研究対象として提示した先駆者として知られています。そして境界論の立場から都市の怪異を探り、それまでの柳田的な定説に対する新しい妖怪像も示しています。

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 私は本書で紹介されている、池袋の女を始めとする江戸期の「都市伝説」の数々に衝撃を受けました。一部、怪異の解釈などで、所謂懐疑派の自分には物足りない部分もあるのですが、とても面白い本です。是非御一読を。なお、宮田登の他の著書もとても興味深いので、探してみて下さいね。

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●書誌データ
 宮田登『妖怪の民俗学』(岩波書店1985)(同時代ライブラリー版1990)


妖怪の民俗学


5.鳥山石燕 『画図百鬼夜行』

 遂に妖怪好きの聖典、妖怪図鑑の嚆矢にして最高峰の登場です。
 大型美術本の体裁の国書刊行会のものがありましたが、近年文庫本が出版されたので非常に手に入れやすくなりました。
 鳥山石燕(1712-1788)は本名佐野豊房、江戸の人です。狩野派の絵師で百鬼夜行シリーズで有名ですが、これは彼の晩年の作で、その生涯についてはまだまだ分からない事も多いようです。代々幕府の御坊主で、家は裕福であったようです。絵も職業と言うより趣味・表現手段として描いていたようです。なお、多田克己によれば、鳥山石燕はフキボカシという薄墨のグラデーションの浮世絵技法を発明したそうです。
 本書の原本は、1776年から1784年にわたって刊行された四部作、全十二冊の和綴じ本です。それぞれ『画図百鬼夜行』(1776)、『今昔画図続百鬼』(1779)、『今昔画図百鬼拾遺』(1781)、『百器徒然袋』(1784)で、二百数体の妖怪・怪異が描かれています。石燕はとても博識だったらしく、取り上げられているのは、民間伝承から芸能、仏典、漢籍、本草学などあらゆる分野にわたります。また、四割近くの妖怪は石燕による創作と考えられています。添えられた詞書きからその出典を探るのも楽しいものです。石燕は狂歌も良くしたらしく、百鬼シリーズでもそうした洒落やユーモアが随所にちりばめられています。
 また、石燕は妖怪を描くに当たって狩野派の妖怪絵巻、土佐光信の百鬼夜行絵巻などを参考にしたようです。なお、絵巻ではなく和綴じの本としてこれを製作したことからは、当時の博物学(本草学)の隆盛をうかがうことができます。

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 それでは現在手に入れる事の出来る刊本について述べましょう。
 さて、まずは国書刊行会版ですが、高田衛監修で、高田による総説、稲田篤信による各図の解説が収められています。さらに、引用されている文献案内も付いており、とても親切です。図版も大きく、見やすいのが特徴でしょう。
 本筋とは余り関係ありませんが、本書の総説に内田百閧フ「くだん(件)」について触れた部分があるのですが、このころはまだこの妖怪は内田の創作と思われていたようです。第二次世界大戦末期の流言やら小泉八雲の文章などから、今では「くだん」は民間で実際に伝承されていた妖怪だと考えられています。やはり妖怪学も進歩しているのです。
 続いて最近出版された角川文庫版ですが、何と言ってもコンパクトさと廉価であることが特色です。一家に一冊、貴方のお供に鳥山石燕ですね。ただし、巻末に多田克己による全体の解説があるのみで、各図版には一切解説がありません。他の文献の助けが必要かも知れません。また、どうしても図版が小さいので、元画の状態が良くないものの中には、見難い場合もあります。特に皿数え等はかなり見づらいです。

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 石燕の妖怪画は後世に大きな影響を与えたと考えられています。彼の後には、彼に連なる歌川派の歌川國芳月岡芳年河鍋暁斎などの妖怪画家が続きました。また、葛飾北斎も妖怪絵を残しています。鳥山石燕は現代の水木しげるにも繋がる妖怪絵師の中興の祖と言えるのです(妖怪画の元祖は狩野元信と伝えられます)。
 機会がありましたら、本書を是非手に取ってみて下さい。愛嬌がある、何処かで見たことのあるような親しみやすい妖怪達が貴方を歓迎してくれる事でしょう。

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●書誌データ
 『鳥山石燕 画図百鬼夜行』(高田衛監修、国書刊行会1992)
 『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』
       (多田克己解説、角川書店2005)文庫版


画図百鬼夜行


5.小松和彦 『憑霊信仰論』

 本書『憑霊信仰論』は、妖怪全体を扱うものではないのですが、私にとって思い入れのある本なので、ここで紹介させて貰おうと思います。

 第2章の『妖怪学新考』で紹介したとおり、本書の著者である小松和彦は、今や日本の妖怪学研究の第一人者と言って過言ではないと思います。最近ではその手のTV番組などでも顔を見かけるようになりました。そして本書は小松の代表作であるとともに、彼の妖怪学研究の端緒となった著作と言えましょう。
 人類学畑の著者は、日本の民俗学に人類学的手法を持ち込む事で、新たな視点をもたらし、新生面を開いたと評価されています。そしてそれは本書に収められた各論考にも明確に表れています。特に憑き物に関する論考では、それまでの民俗学による憑き物研究の限界を乗り越え、「憑霊信仰」の全体像と特徴をより良く示す(と思われる)仮説を提出しています。

 中学か高校生の時だったと思いますが、説明体系としての憑き物・妖怪や、四国物部郡のいざなぎ流などの、本書の内容に大きな驚きと興味を持って読み進めた事が思い出されます。確か学術的に書かれた民俗学関係の本で最初に読んだ本ではなかったかと記憶しています。

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 確かこれは京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の元ネタの一つですね。『姑獲鳥の夏』を読んでいてどこかで聞いた事のある論理やら呪文があると思っていたら、巻末の参考文献にありました。

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 本書に代表される小松の著書は、日本文化の闇の世界を扱うことで、妖怪研究に深く関連しています。初めはやや難解に思えるかもしれませんが、いずれも共に謎解きを進めてゆくような知的興奮を感じます。本書を含め、是非御一読を。
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●書誌データ
 小松和彦『憑霊信仰論』(講談社学術文庫1994)
             (初版:伝統と現代社1982,増補版:ありな書房1984)


憑霊信仰論



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