今月の御言葉

○平成20年2月

慧音先生 鬼神に横道なきものを


  鬼神に横道、無きものを


  
         謡曲「大江山」より


白澤アイコン09 萃香アイコン02
上白沢慧音 伊吹萃香


上白沢慧音 :冬になったかと思ったら、もう節分ね。
:――さて、薄くなっていないで出ていらっしゃいな。私は鬼遣らいはしないから。
伊吹萃香 :あら、やっぱり分かってた?
:そう言えば此処には柊や笊も無いけど、貴女はそうした風習はしないのかしら?
上白沢慧音 :はは。私自身が護符みたいなものだからな。本当に悪いものは此処には入ってこれないんだ。
伊吹萃香 :ふーん。じゃ、遠慮無く。
上白沢慧音 :ふふふ。災難だな。
伊吹萃香 :そーそー、最近おもしろがって誰も彼も豆撒きをするのよねー。
上白沢慧音 :鬼は普段完全無敵なんだから、一日くらい良いのではないか?
伊吹萃香 :むー。そうは言っても、逐われるのは嫌なものよ。まったくもー。
:そもそも悪しきモノを追い払っていたのは私たちなのにー。
上白沢慧音 :確かにな。角のある恐ろしい面相の方相氏が、目に見えぬ邪気を祓うのが本来の姿だったか。
:……追うモノが逐われるモノになってしまったのだな。
伊吹萃香 :全く、人は目に見えるものしか信じられないのかしら。
上白沢慧音 :ああ、人はそなた達のように強くはないから。何か、確かなものが欲しいのだ……。
伊吹萃香 :……………。
:私たちの力は大地の力、人間を見守る祖霊の力。そして人間を凌駕する大自然の荒ぶる力。
:疫病を祓い、福をもたらす。それを司るのもまた、私たちの役割だったのに。
:勿論、人の心の闇に潜み、人を攫うのも私たちだけれどね、うふふ。
:私たちは人ならざる“力”の象徴だったのよ。
上白沢慧音 :そう、そして人々は様々な負の要素をそこへ投影していった……。
:災害、疫病、――そして同じ人間さえも。
伊吹萃香 :そうね、謂わば「鬼」は人が作り上げたものなのよ。
:でも……。だからこそ、人の生きる場所には常に私たちが居た。畏れられてはいても、其処には確かな絆があった。
上白沢慧音 :絆、か。
伊吹萃香 :私たちが居ればこそ、人は本来対抗手段を持たない様々な災厄に“立ち向かう”ことができたの。私たちと人間は謂わば光と影、陽と陰、どちらが欠けても立ち行かぬ。そんな関係の筈だった。
:それなのに、いつの頃からだろうか。人は私たちを騙そうとするようになった。私たちを欺き、排除し、滅ぼそうとした。はは、自分の半身みたいなものなのにね……。
:人と私たちとの間の信頼は失われ、古き絆も絶え果てた……。
上白沢慧音 :―――――。
:人は弱い生き物だ。寿命も短く力も弱い。そんな人間が人外に対抗するための唯一の武器が智慧だったのだ。だから……。
伊吹萃香 :確かにそうかもしれない。嘘を吐くって事だけならね。
:でもね。そうした狡猾さはすぐに暴走する。自分たちと異質の人々を鬼として排除して行く時、それは最早弱き人の小さな武器では無いわ。人の狭量さと傲慢さを示すものに他ならないの。
:……そして、私たちとの絆さえ、人間達はいとも容易く捨て去ったのよ。
上白沢慧音 :それを最も良く示す説話が大江山という訳か。
:ふむ。大江山か。能の演目としても知られているな。謡曲「大江山」は酒天童子絵巻や御伽草子を元に宮増(一説には世阿弥)が作ったと言われているが……。
伊吹萃香 :ええ、かの事件が起こったのは一条天皇の世、正暦三年(西暦992年)とも長徳元年(西暦995年)とも言われているわね。
:酒呑童子は比叡の山に遙か昔より住まう古き神だったの。それが侵入してきた蕃神を奉ずる者達に逐われたのよ。以後、霞に紛れ雲に乗り――、各地を彷徨い、流浪の果てに漸く見つけた安住の地も……。
上白沢慧音 :―――――。
伊吹萃香 :酒呑童子は山伏姿で訪れた頼光一行を友人として扱ったの。自分の生い立ちを話す程に信用して……。それなのに。それなのに、彼等は瞞して毒酒を飲ませた上で酒呑童子らを虐殺する。
:―――――。
:「……情なしとよ客僧たち、偽りあらじといひつるに」
:「鬼神に横道なきものを……」
上白沢慧音 :……哀しき言葉だな。
伊吹萃香 :これは信頼を裏切った人間への告発の言葉。哀しみに満ちた魂の叫び。
:「大江山」ではこの叫びすら人間の心には届かない。彼等は言う「ああ、偽りだ。だから何だと?」、「お前達の住む場所などこの国には有りはしない」、「勅命を受けた私等こそが正義、目的の為ならばどんな手段を取っても許されるのだ」とね。
上白沢慧音 :「山河草木震動して、光満ち来る鬼の眼、ただ日月の天つ星、照り輝きてさながらに……」
伊吹萃香 :酒呑童子は異能の人間にして古き山の神、龍神の血を引く水と豊饒の土着神。荒ぶる大自然の象徴。人はそれを排除し、殺戮したのよ。
:そう、人間達は大地や山々への畏れを忘れてしまった。
上白沢慧音 :――そうかも知れないな。きっと自然に対する敬意が薄れてしまったのだろう。
伊吹萃香 :大地への畏れを忘れて生きるなど!! 何たる傲岸。
:……………。人は嘘ばかり吐く。だから私たちは人間を見限ったんだ。
:いつか年月は過ぎ行き、私たちは忘れ去られる。それで良いと……。
上白沢慧音 :人間は―私もそうだが―、弱くて臆病で卑怯で狡い。人間は弱い存在なのだ。
:だから人は嘘をつく。神さえも騙そうとする。
:だがな、それはそれで悲しいものだ。その行為の代償として、人は“必ず”豊かな楽園を逐われるのだから。浦島子の物語も、龍宮淵の物語も、皆そうではないか。人は楽園に留まることは叶わないのだ……。
伊吹萃香 :……………。
上白沢慧音 :だが、そなたは此処へ戻ってきたではないか。
:もう一度、人間との関わりを持とうと思ったのではないのか?
伊吹萃香 :え、うん。あ、いや。
:それは、多分私が変わっているだけなんだ。
上白沢慧音 :この地にはまだ“向こう側”で失われたものがある。
:例え人の心は変わろうと……。
伊吹萃香 :それは幻想郷でも遙か昔に失われてしまった。
:そう、だからね、幻想郷でも私には居場所がないの。
上白沢慧音 :そんなことはない。それは違う。
:いつでもそなたを迎え入れてくれる場所があるはずだ。
伊吹萃香 :え?
上白沢慧音 :あの神社だよ。
:それに多分……。いや、今は止めておこう。
伊吹萃香 :絶たれた絆を、再び結ぶことは出来るのかしら?
:失われた信頼を、もう一度取り戻すことは出来るのかしら?
上白沢慧音 :人は変わってしまう。でも、だからこそ、希望も持てるのではないか?
伊吹萃香 :変わる、か。
上白沢慧音 :物事は悪い方向にだけ変わるとは限らない。
伊吹萃香 :ふふっ。あはははは。
:くっく、来年の事さえ分かりはしないのに。
:……………、ありがとう。
:さぁて、神社で一杯やってこようかな。
上白沢慧音 :―――――。
伊吹萃香 :じゃっ

:かつて坐(いま)しし、捨て童子〜。疫癘払ひし、鬼神(かみ)ぞかし♪
:人に騙され謀られ。霞に紛れ、雲に乗り、此世を逐はれし山の神♪
:失はれし力、今何処♪




参考文献
 ・野上豊一郎『謡曲全集』(5)(中央公論社1951)
 ・佐竹昭広『酒呑童子異聞』岩波同時代ライブラリー1992
 ・馬場あき子『鬼の研究』ちくま文庫1988
 ・小松和彦『日本妖怪異聞録』小学館ライブラリー1995
 ・小松和彦『これは「民俗学」ではない』(福武書店1989)
 ・小松和彦『悪霊論』(青土社1989)

Special Thanks
 ・祀色工房(蒼桐大紀様)>「天零萃夢」

参考(サイト内)
 ・追儺の解説
 ・伊吹萃香(絵と解説)
 ・春来る鬼(絵と解説)

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