建築探偵 京師迷走



其之一 鞍馬貴船篇
             (承前)


   ★ 鞍馬寺に続いて貴船神社へと足を伸ばします。 ☆

 水を司る女神、そして龍神を祀る古社は様々な伝説に彩られつつ静かに佇む。
 その木立の背後に丑の刻参りの昏き伝説を秘めながら。



   *拙い写真しか無くて申し訳ないです。

 鞍馬寺奥の院から西門へと下ってくれば、もう貴船神社はすぐそこです。
 正式名称は貴布禰総本宮のはず。

 右の写真は貴船神社の参道です。
 夏でも涼しく、山中であることを強く感じさせます。ただ、紅葉の時期ならもっと素晴らしいに違いない。

 貴船神社は叡山鉄道の鞍馬口が最寄りですが、距離は少しあります。まあ徒歩で30分くらいですが。
貴船神社参道

 貴船神社の本殿です。
 祀られているのはタカオカミノカミ(オカミの漢字が表示できない…)です。しかし、古い記録には祭神を罔象女神(ミズハノメノカミ)とするものもあるようです。
 何れにせよ水と縁のある女神を祀るというのが本来の形ではなかったでしょうか。そしてその水の神は、龍神の姿であったのでしょう(オカミという漢字には雨と龍が含まれています)。
 雨乞いの神様としても知られていますし、都の北の水源を護る神様でもある訳です。

 嘗ての雨乞祭では清らかな巫女が舞を舞ったと言います。

 大御田のうるほふばかりせきかけて ゐぜきに落とせ川上の神
貴船神社本社社殿

 本社から更に川上へと遡ってゆくと、貴船の奥宮に辿り着きます。
 ……それにしても人が全然いないねぇ。

 この上流の奥宮が元々の本殿であったと言います。
 貴船はかつては貴布禰や黄船、木生根などと表記され、水や樹木との強い関わりをうかがわせます。

 なお、この社の始まりは玉依姫が黄船に乗って難波から川を遡り、この地に至って水神を祀ったとされます。きふねの名称もこの黄船からという説もあるのです。
 創建年代は不明ですが、神社の伝えによれば反正天皇の頃とか。

 黄船は“きせん”で黄泉に通じるという話を聞いたこともあります。
 また、絵馬発祥の神社という説もあります。これは水乞いの儀礼との関連からでしょう。

 そんなことより、巷間で最も有名な貴船神社関連の伝説と言えば、丑の刻参りでしょう。
 宇治の橋姫伝説や謡曲「鉄輪」として知られる物語に語られる呪詛の手法です。その呪術を教えたのが貴船の神と伝えられるのです。
 藁人形と釘を用いる形の丑の刻参りもこの種の伝説と関係を持ちながら流布していったものと思われます。呪詛の民俗についてはここではとても書き切れませんので、又何時か別の機会に。
 因みに、貴船の神が降臨したのが丑年の牛の月、丑の日、丑の刻とされたことも、この伝説の生成に影響を与えたと思われます(鞍馬の毘沙門天の場合は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻らしい)。
貴船神社奥宮
 貴船神社のおみやげ。
 龍神の土鈴「龍鈴」、色も綺麗で可愛らしい。
貴船社龍神土鈴
 貴船神社の傍らを流れる貴船川の清流です。
 夏にはここに床が設けられます。この辺りの料亭は何だか物凄ーく高級さを醸し出していましたけれど。

 とても気持ちの良い場所で、水を司る神域とされたのも成る程と思わせます。

 そういえば、奥宮の祭神をクラオカミノカミとすることもあるそうで、クラは鞍馬と同じように闇いことを表すのかもしれません。神話ではヒノカグツチを斬り殺したときの血から生まれた神ですが。
 何れにせよ、タカオカミもクラオカミも同じ神格を示すものと思われます。水の神、龍神ですね。

 参道入り口から奥宮までの間には、和泉式部の螢石ほか、色々な伝説ゆかりのものが残されています。

 もの思へば沢の螢もわが身より あくがれ出づるたまかとぞ見る
 奥山にたぎりておつる瀧つ瀬の たまちる許ものな思ひそ


   <了>
貴船川



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