境の殺戮(承前) 0.はじめに 1.境目に潜む妖怪 2.出雲の八重垣 3.色鮮やかな縁 4.高貴なる色彩 5.怪異を招く色 6.神隠しの主犯 6-1.黄昏の迷い子 6-2.幻の楽園 6-3.九ツ谺の向こうに 7.覗き見るモノ 8.異界への入口 9.彼岸への架け橋 10.境界の護持者 終.境の殺戮 付.参考文献 |
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8.異界への入口 それではいよいよ八雲紫の持つ能力、「境界を操る」能力について考えてみたいと思います。 初めに、民俗社会で境界がどのように認識されていたのか、どのような役割を果たしてきたのかについて考えてみたいと思います。そしてそこに立ち現れる様々なモノ達、神や妖怪についても考えを広げていければ良いと思います。 *** それではまず、境界論について少し考えてみたいと思います。 |
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人間は、空間や時間を、様々な手段を以て、区切り分節することで世界を認識してゆきます。そこに境界が生まれるのです。二つ以上の領域、「世界」が存在するとき、その接する所が境界となります。境界とはある領域の果てであり、かつそこは別世界への入り口でもあったわけです。 境界は社会空間を分節することで生まれます。そこには複数の領域(カテゴリー)が存在しますが、境界そのものはあくまで何れのカテゴリーにも属さない、両義的な性格を持ちます。 また、境界と言っても線的なものとは限らず、ある一定の空間を占める場合もあり、その場合には境界領域と呼ばれます。境界を象徴する様々なものが具体的な形を持って存在できるのはそのためです。 *** さて、このように複数のカテゴリーの中間にあるという、「帰属の両義性」の性格が境界を特徴づける第一の点です。 しかしこの他にも、「中心−周縁」という問題があります。世界を認識する際に、人間はしばしば私(我々)を中心にして社会空間を分節します。いわば世界を私(我々)と他者(彼等)とに分割し、その間に境界を設けるわけです。この時、中心が「私」に、周縁が「他者」に重ね合わされるのですが、その中心性はしばしば清浄さや正しさとも重ね合わされます。中心に近いほど清浄であり、周縁になればなる程、即ち「我々」から遠ざかれば遠ざかるほど穢れ、悪くなるという訳です。この中心−周縁の距離感は、地理的な距離とは必ずしも一致しません。心理的な距離が大きく影響すると考えられています。 *** さらに、境界とは空間的なものだけではありません。民俗社会には時間的な境界も存在します。 人々は、一様に過ぎてゆく時間を、様々な形で区切り分節することによって社会や個々の人生を構築してゆくのです。 一年や四季、一日などは循環して表れる時間的領域ですし、また、人生も多くの段階に分節されています(誕生、成人、結婚、等々)。これらの領域間の区切りにおける各種の儀礼が、時間を分節する境界を象徴していると考えられるのです。 これらの境界に相当する時間(帯)は、しばしば通常の社会的時間とは異なる“非日常的な時間”であると認識されます。つまり、各種の年中行事や祭りも共同体による時間的な境界の標示といえるのです。逆に言うと、祭りや行事の存在によって、時間的な境界を再認識するわけです。 同様に人は一生の間の様々な通過儀礼によって、象徴的境界を越えることになります。そしてその儀礼も非日常的な時間とされています。冠婚葬祭の儀礼を思い起こして頂ければ納得できるかと思います。 なお、こうした時間的な境界はしばしば空間的境界と重ね合わされて認識されてきました。その最もわかりやすい例が生と死の境界でしょう。ところで、生き物にとって避ける事のできない死については、古来から様々な思索が重ねられてきました。境界論においても、この生死の境は大きな意味を持ちます。ただし、ここでは境界論の詳細に踏み込む余裕はありませんので、時間と空間とにまたがって想起される生死の境界についてのみ触れておきたいと思います。 つまり、死の世界(あの世)が森や高山、海洋といった空間的領域に重ね合わされることで、生の世界と死の世界との境界が空間的な境界とも重ね合わされることとなったのです。 村落と外界との境界である野原や海岸、川、橋、辻などがそうです。これらは空間的境界として認識されると共に、生と死の境界であるともみなされました。各地に実際に存在する「六道ヶ辻」や「三途川」、「賽の河原」などの地名がその例です。また、特定の場所と結びついた各種の葬送儀礼もこの生と死の境界の象徴的な表現といえましょう。 *** ところで、境界は時間的、あるいは空間的のいずれにせよ(詳細には社会的・物質的境界というものも存在します)、主観的なものであり、その点では極めて相対的な概念であることは重要です。誰、またはどの集団にとっての境界なのか、という点はおろそかにできないのです。ですから境界は属する共同体によっても異なりますし、また時代によって変化する事もあり得るのです。 *** かくの如き境界は、世界をいわば此岸と彼岸とに分離するのです。そして彼岸、つまり「向こう側」は人ならざる者達の闊歩する世界となるのです。逆に言うと、人間はこうした神や妖怪の現れる領域を作り出すことで、世界を分節しているのです。 そしてそこは、現実の世界としては“我々”の知らない“彼等”の来たる所であり、またこの世ならぬ者達の世界との接点でもあったのです。それ故境界は時には忌避され、また時には聖なるものとして神聖視されました。すなわち、民俗社会ではこうした「境界」の向こう側からやってくる人を、異界・他界からの来訪者として捉えたのです。これらの「異人」が人ならざる超越的存在として認識されると神や妖怪になるのです。それらのモノ達は共同体に幸福や活力をもたらすこともあり、また疫病などの災いをもたらすこともありました。 このように、境界は地上に現に存在する異界への入り口なのです。故に、様々な怪異は境界を舞台とし、また様々な儀式が境界で行われるのです。実際にも境界的イメージを賦与された場所は周辺的で曖昧な性格を持っており、しばしば崩壊や死、恐怖といったものを暗示させるのです。 一方で、妖怪を生み出す境界を認識する事は、実は逆に妖怪・怪異に対する人間側の防御機構であるともいえるのです。一般に妖怪とは不安や警戒心などに起因する“恐怖”から生じるものですが、空間を分節して“境界”を作り出すことでこれに対処することが可能になるのです。つまり安全な領域、危険な領域を明確に認識することができるようになるからであり、そして魔除け人形や道切りなど、境界を舞台とする“儀式”によって怪異に対抗できるようになるからなのです。 *** |
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9.彼岸への架け橋 それでは、次に境界がどのように認識されていたのかを具体的に見てゆきましょう。 境界とは、古来土地の境を意味し、坂も同じように使われました。また、境界にも様々なレヴェルがあります。個人にとっての境界から村落共同体の境界のような大きなものまで。例えば自分と他人との境界があり、次いで自分の家とその外側、さらには自分の属するムラとその外側といった風にです。このような境界の性格は、しばしば同心円に例えられます。 |
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例えば、土地の境に関わる民俗社会の境界として、よく村境が取り上げられます。しかし、必ずしも地図上の境界線が民俗レベルの村境となるわけではありません。あくまでそこは共同体の構成員が考える境で、共同体の社会的統一を空間的に表徴するものなのです。 そしてそこは道切り、虫送りなどの儀式・行事が行われる場所であり、必ずしも村のはずれというわけではありません。むしろ共同体と外界との接点として、人々が集まる交通の場という性格も持っているのです。 その一方で、境界領域、すなわち周縁部はケガレや悪と重ね合わされました。逆に言うと、共同体は墓地などのケガレ(不浄な空間)や遊郭・芝居小屋などの悪所を周辺地域へと排除してきたわけです。例えば、江戸の町を見てみると、これらの場所は都市の周縁部である農村との境界に位置しています。 さて、妖怪も周縁部や属性の曖昧な場所、すなわち境界部分に現れます。具体的には、家の中では、普段使用しない座敷や暗い便所、町(都市)では橋や辻、村落では村境となる川や森、山などが周縁部に当たり、そこに様々な怪異現象が立ち現れてくるのです。異界である山や海と“我等の世界”の境界に当たる海岸や山裾・野なども怪異現象の舞台となります。 *** 以下では、それぞれの境界と関連づけられた空間について、例を挙げて見て行きたいと思います。 まずは、辻の境界性について述べてみましょう。辻は、現実の道が交わる、外部と内部を結ぶ場所であるだけでなく、潜在的にはあの世とこの世との境と考えられていたようです。お盆や葬送における各種の儀式が辻を舞台として行われるのはこのためでしょう。 例えば、お盆などに戻ってきた先祖の霊が現れやすい場所も辻でした。供養棚や施餓鬼棚(精霊棚)が置かれたのも、盆踊りを行ったのも村々の各辻毎でした。先祖が辻に立てた線香の煙に乗ってやってくる、などと伝える地域もあります。葬送の時に、死者の目印として白紙を串に挟み、辻に立てるという行事も同じ考えから来ているものと思われます。新生児を一度辻に捨て、改めてそれを拾って貰うという子供の健やかな成長を願う儀礼も、辻の性格を考えれば、死と再生とを演じたものと考えることができるのです。小野篁の伝説で知られる、京都の六波羅近くの六道ヶ辻もこの世と地獄(あの世)の境界に擬せらていたのです。 また、辻は死との境界を象徴するだけではなく、神霊の世界との境界とも考えられていました。年神を辻から迎えるという地域もありました。 こうして神霊の寄り来る場所である辻には、当然怪異も発生します。四つ辻には数多くの怪異譚が伝えられているのです。産女(うぶめ)や七人みさきが出現するのも辻だと伝えられます。京都の「あははの辻」は百鬼夜行の現れる場所として有名だったそうです。屋久島などに伝えられる辻神、あるいは沖縄の石敢当や三叉路の屋守の鍾馗の習慣も、このような辻の性格を示していると考えられます。 辻占もこうした別の世界を垣間見せる境界ならではと言えましょう。既に万葉集の頃から、「夕占(ゆうけ)」と称して往来の人々の話を聞くという辻占いが行われていたと言います。また、十字路で櫛(一種の依代)を用いて託宣を聞くという方法も伝えられています。辻という境界は、目に見える世界と見えざる世界の交錯する場だったといえましょう。 辻には民俗芸能の舞台としての役割もありました。辻説法や辻浄瑠璃など、辻で行われる様々な芸能は、元々は辻における“辻わざ”と呼ばれる鎮魂儀礼から生じたと考えられています。さらに、辻は人が集まることから、市が立つなど商業地域としても用いられました。 辻とは芸能、占い、怪異、祭祀、祖霊、商業など様々なものと関わりを持つ空間であり、境界性と公共性という一見相反する性質を併せ持っていたと考えられるのです。 *** 橋もこうした境界領域と見られた場所です。そもそも「橋」の語は端っこの“はし”を表すとも言われます。ある領域の端部であり、同時に別の領域へと繋がる場所でもあります。 さらに、橋は川を横切って架けられているわけなのですが、そのため橋上は二種類の領域の交わる所と考えることもできます。そこはつまり一種の“辻”でもあるわけです。そもそも川自体が境界(境川)となることもあり、その場合橋は境界を越える通路ともなるのです。 橋にはその境界性のために、多くの不思議な伝承が残されているのです。 例えば橋には様々な神怪な名を持つものがあります。姿不見(すがたみずの)橋、細語(ささやき)橋、言問橋、いずれも人ならざる者の声、託宣を得ることができたということから付けられた名称だと考えられます。つまり、境界領域たる橋では、異界からの声を聞く事ができたのです。 ちなみに、東京新宿の淀橋の旧名称は姿不見橋でした。ここには長者伝説があったそうです。戦前までは花嫁行列はそこを忌むなどの風習が残っていたようです。 橋が異界との境界領域であるために、異形のモノはしばしば橋に顕現します。幽霊橋や面影橋はこの世ならざる者と出会うことのできる橋を示します。また、死者を蘇らせた浄蔵や渡辺綱と鬼の伝説の舞台が一条戻橋であることも同様の認識を表しています。安倍晴明が十二神将を戻橋の下に鎮めていたという伝説も有名でしょう。怪談等で幽霊や産女などがしばしば橋のたもとに出現するのも橋の持つ辻に類似した性質によるものと考えられています。 さらに、橋は単なるあの世ではなく、“浄土”と現世の境界を象徴するものともなります。当麻寺練供養や九品寺来迎会などの儀礼もこれに基づいていると思われます。つまり、現世の橋はそのまま極楽浄土への架け橋と見なされたのです。 同様に、神社などの神域の入口に架けられる反り橋は、橋でありかつ一種の峠でもある、境界を象徴するものなのです。敢えて渡りにくい橋を架けることで、日常空間から神聖な空間への移行を演出したのでしょう。 変わった所では、空中を舞う首の伝説にも橋が関係しています。 最も有名なのが将門の首の伝説でしょう。将門の首は、胴を探して飛び回り、神田橋のたもとに落下しました。そしてそこが現在の神田明神の場所であると伝えられています。将門については大手町の首塚が有名ですが、東京周辺に数多くの伝説が分布しているようです。また、蘇我入鹿の首についての伝説もあります。切られた首が中臣鎌足を追いかけていったというもので、最初に落下した場所が首落とし橋(奈良県橿原市)だと言います。なお、更に鎌足を追った首は最終的には高見峠(奈良県吉野郡、峠も一種の境界です)に落ち、そこに五輪塔を立てて首塚として祀ったと伝えられます。ただし、これに関しては、流水との関連も考慮すべきとは思います。 一方、「辻占」に対応するものとして「橋占」があります。橋で行き交う人の言葉を聞いて占いを行うというものです。安倍晴明が十二神将を置いた一条戻橋での占いは、よく効いたと伝えられています。橋占に関して、室町時代、京五条の橋で小野お通の召使いだったという千代が、道行く人を呼び止めてお通に貰った手紙を読んだという伝説があります。柳田國男も「妹の力」で触れていますが、小野お通は漂泊の巫女の象徴的存在であり、それに関わる狂女千代の行為も一種の橋占と考えられるものなのです。 橋には他にも様々な伝説が伝えられています。例えば西行ゆかりの西行橋・歌詰橋の伝説については、柳田國男は橋での歌占の風習の名残ではないかと考えています。各地の峠や坂に残る西行戻りの伝説も、本来境界での神事卜占の痕跡なのかも知れません。橋に関する有名な伝説「橋姫」については後に触れることがあるかと思います。 |
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*** 当然ですが、河原や海岸も重要な境界領域のひとつです。川は地上の領域を区切る存在であり、また海の彼方には補陀落国や常世国、ニライカナイなど海上他界の存在が想定されていたのです。様々な妖怪が現れるのも、また神霊が遙か彼方から訪れるのもこうした川辺や海辺でした。例えば、各地の寺社の縁起には、しばしば海岸から流れ着いた神格が記されていますし、子を抱く姿で現れる濡女、磯女と呼ばれる妖怪は、境界の一例である海岸に表れます。 また、賽の河原は地獄に通じる“渡し”のたもとにある広場の事ですが、その渡しは三途川を横切る一種の道であり、渡しは橋と考える事もできます。言い換えればそこは一種の“辻”であり、あの世とこの世の境にある境界領域の一つだと考えられます。 *** |
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井戸もこの世とあの世の境界と考えられていた場所の一つです。皿屋敷のお菊をはじめ、しばしば幽霊(亡霊)が井戸より現れるのはこのためです。井戸にまつわる伝説も少なくありません。あの世ばかりでなく、井戸は地中の水脈を通じて遙か海上他界へと連なるとも考えられていたのです。 *** ところで、門も境界の一種と考えることができます。門は空間上の境界に位置することで、様々な区画の接点となり、政治的・文化的・社会的な境界を形成しているのです。 そして門は、その境界的性質故に、様々な怪異を呼び寄せると考えられています。つまり、門は現実に領域を区切るものであると共に、異界と顕界との接点ともなったのです。『江談抄』や『長谷雄草子』に見られる朱雀門の怪がその代表と言えましょう。同様に、都の羅城門や応天門がしばしば怪異の出現地点とされるのはこうした門の持つ境界的性質によるのです。 *** 最後に都市の中にある化物屋敷についても考えてみましょう。化物屋敷は様々な怪異が起き、異形の者が徘徊すると考えられている建物または区画です。これは都市という人工空間の中にある混沌であり、“自然”が現前する場所でもあるのです。従ってそこは人工(秩序)と自然(混沌)の両義性を持ち、境界的性質を帯びることになります。従って、そこは都市の中に生じた境界となり、様々な怪異が都市の真ん中に現れるという訳です。 *** |
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