天狗覚書

 0.緒言
 1.原天狗
 2.夜叉としての天狗
 3.山神としての天狗
 4.怨霊としての天狗
 5.他界の天狗
 6.結び
 7.参考
 8.参考文献





0.緒言

 本稿は、日本の妖怪史において大きな存在である天狗について述べたものである。
 天狗は極めて多様な側面を持った存在であり、短くまとめて語ることは困難であると考えられる。そもそもこうした存在は、そのアプローチの方法、さらには語り方によってさえ印象を大きく変えてしまう可能性もある。即ち、いかなる姿勢で対象に向かうのかという点についてもある程度明示する必要があると思われる。これに関して、これまでも種々の手法が試みられてきたようである。例えば、時間的変遷を追うという歴史学的手法に則った語り方もある。また、図像学的、形態的な面に注目して記述こともできる。つまり所謂高い鼻を持った「鼻高天狗」と「鳥類天狗」に大別してそのそれぞれを考察するという手法である。
 だが、本稿では天狗の全体像を見渡す視点を提供するということを目的に、様々な様相を持って立ち現れる天狗それぞれが持つ性質から論じてみたい。即ち、天狗を大陸の「原天狗」、反仏教的存在の「夜叉としての天狗」、山岳信仰に関わる「山神としての天狗」、人間が化した「怨霊としての天狗」、独自の天狗界を形作る「他界の天狗」、の五つに分けて記述することを試みる。
 なお、本稿における主題である「テング」に対応する漢字表記については、天狗が代表的だが、天宮や天公、天狐という漢字を当てることもある。

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1.原天狗

 先ず最初に言及すべきは、謂わば「原天狗」とも言うべき存在だと考えられる。
 これは大陸での「天狗」と、それを直輸入した我が国最初期の天狗像である。つまり、端的に言えば、虚空を飛ぶ尋常ならざるものを指す言葉で、むしろ天文現象であり、後の民俗伝承的な天狗とは異なるものだと考えられている。
 そもそも大陸における天狗とは、尾を引く流星又は彗星の事を指す。実際に司馬遷の『史記』や『五雑俎』などの文献では音を発して飛ぶ星を天狗星と称している。さらに『史記』には、奔星(流星)の墜ちた所には狗の様な生き物が見られると記している。この一種の雷獣註1)のような異獣の伝承から流星を「天の狗」と呼んだのだと思われる。以下にはその例を引用する。

 『史記』「天官書 第五」
  「天狗、状如大奔星、有声。其下止地類狗(犬)、所堕及炎火。望之、如火光炎炎衝天。
   其下円数項田處、上兌者則有黄色

  (天狗は、状(かたち)大奔星の如くにして声有り。地に止まるときは、狗に類(に)たり。
   堕つる所、炎火に及ぶ。之を望むに火光の如く、炎炎として天を衝く。
   其の下の円(まろ)きこと、数項(すうけい)の田処の如く、上兌(えい)なる者は則ち黄色有り)
     ※項(けい)とは面積の単位:1項=100畝
     ※兌(えい)とは尖っている様子を表す

 『漢書』「天文志」
  「天鼓有音、如雷非雷、天狗、状如大流星
  (天鼓音有り、雷の如きも雷に非ず、天狗、状大流星の如し)

  註1)雷獣:雷が落ちた跡に見つかるという小さな獣。貂や鼬のような姿とされることも多いが、全く異なる姿のものも伝えられており、決まった姿は無かったようである。


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 本邦では『日本書紀』舒明天皇九年(西暦637年)二月十一日の条(※二十三日と註されている文献も存在する)に始めて天狗の文字が見られる。僧旻が、これは流星ではなく天狗だと言ったという話である。原文と読み下しを挙げる。

  「九年春二月丙辰朔戊寅、大星従東流西。便有音似雷。時人曰、流星之音。亦曰、地雷。
   於是、僧旻僧曰、非流星。是
天狗也。其吠声似雷耳
  (九年の春二月(きさらぎ)の丙辰(ひのえたつ)の朔戊寅(つちのえのとらのひ)に大きなる星、東(ひむがし)より西に流る。便(すなわ)ち音有りて雷に似たり。時の人の曰はく、「流星の音なり」といふ。亦は曰く、「地雷(つちのいかづち)なり」といふ。是に僧旻僧(みんほうし)が曰はく、「流星に非ず。是天狗なり。其の吠ゆる声雷音に似たるのみ」と)

 なお、この記事の前の舒明天皇七年には彗星の記事が、同八年には日蝕や飢饉の記事があり、さらにこの記事の後、同九年の三月には日蝕の記事と蝦夷の反乱の記事が記されている。これは天狗が日蝕や彗星の出現と同様に、不吉な出来事の予兆と見られていた、あるいは天文の異常が地上の災厄をもたらすと考えられていたことをうかがわせる。
 ところで、ここに現れる「天狗」を「アマツキツネ」と読ませている。これは『日本書紀』北野本の訓によるものと思われるが、この訓は、当該部分について『聖徳太子伝暦』に「僧旻法師曰、是謂天狐也」とあることから採用されたかと思われる。このアマツキツネ或いはアマツトトネという読みが後世天狗が狐と習合して行く伏線となると考えられるが、このことは後述する。

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 ただし、大陸における天狗も単純な存在とは言えない。例えば天狗を魔性の女の霊とする考え方や、『山海経』(前漢末頃までに成立か)「西山経次三経」のように動物の一種と見るものもある。『山海経』では天狗を首の白い山猫のような生き物だとしている。また明時代の李時珍『本草綱目』(西暦1596年刊)によれば、天狗は穴熊(かん)の蜀地方での呼び名であると云う。魔性の女と見る伝承については、子供を攫う異形のもので、名を天狗あるいは偸生(とうせい)と称するという。これは未婚のまま死んだ娘の悪霊と言われ、新生児を彼岸に連れ去ることで代わりに自分が現世へ生まれ出ようとするのだそうだ。この辺りは自分の子とする為に攫う姑獲鳥などの伝承とは、一見似てはいるが、本質的に異なるもののようである。
 この魔物から子供を護るために、狗毛符と呼ぶ毛玉を産着に縫いつけたり、狗圏という銀色の環や帯を付けたりしたと言う。これらの風習は、我が国の玩具で、赤ん坊の悪霊祓いの効果があるとされている犬張子と同様の考え方であり、こうした大陸の伝承の影響を受けている可能性もある。
 他にも天狗と関わりのあるかもしれない大陸の生き物がある。それは羽民と呼ばれる異人達である。明時代の博物誌、王圻『三才図絵』(西暦1607年)には、羽民は海の東南の崖にある羽民国に住み、人に似ているが卵から生まれると記されている。その姿は頬長く嘴を持ち、赤目白首、羽毛が生えていて飛ぶことが出来るという。

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 なお、近世の知識人達は様々な妖怪に関心を寄せていた事が知られているが、これらの大陸の天狗ならぬ天狗達についての知識も持っていたようである。例えば江戸期の滝沢馬琴による『烹雑の記』の「天狗図」には、山伏姿の天狗の他に、『山海経』の首の白い獣や人面鳥身の山の神、獅子の如き猛獣天狗、仙人の一種白鶴童、翼を持つ巨大な山鬼など大陸の文献に見られる天狗に似た異形の者達が描かれている。江戸時代の「怪奇鳥獣図巻」と題された絵巻にも「天狗(てんくう)」の項目があるが、これは明らかに『山海経』に拠るものと考えられる。形態も首の白い獣のような生き物だ。詞書きには魔除けとなる、ともある。また、中世になっても、星の一種としての天狗は、「天狗星」や「天狗流星」として知られていたようである。例えば15世紀の『応仁記』「一、乱前御晴之事」には次のような一節がある。

  「夜亥の刻に坤方より艮方え光物飛び渡りける(中略)天狗流星と云物にて有りけるとかや

 流星にせよ獣にせよ、「原天狗」は後の民間伝承の中の天狗像とはかなり異質な物に見える。これらの異質な存在が、後世の天狗とどう繋がっていったのかについて少し考えてみたい。
 おそらく、本邦の天狗は、「原天狗」の持っていた天空を飛ぶモノ、天と地を繋ぐ大きな音を発する怪物、異変をもたらすモノ、という性質に山の神霊という要素が加えられるという形で作られたものなのであろう。以降順次記述してゆくが、本邦の天狗はこれらの性質に仏教と御霊信仰の影響を加えることで語ることができると考えられるのである。
 ここで大陸の天狗と、本邦の天狗との結びつきに関する説を一つ紹介しておきたい。19世紀前半の小山田与清(ともきよ)『松屋筆記』によれば、我が国で元々天神の意味の天の君(アメノキミ)と呼ばれた霊獣が、天公と記されることで「てんぐ」と呼ばれるようになり、大陸の天狗と混同されたという。ただし、筆者はこれまでの所この説の当否を判断するだけの資料を持たない。

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 さらにもう一つ、今度は鳥のような姿の「鳥類天狗」の原型とも考えられるものを紹介したい。それは、「治鳥(じちょう)」という正体不明、おそらくは想像上の鳥である。これは大陸の博物誌に記されたものだが、本邦でこれを天狗に充てることがある。『本草綱目』によると、この鳥は越地方(広東省、広西省)の深山に棲む。大きさは鳩位で青い。その鳥の巣の有る木を伐ると、虎を使ってその人の家を焼き、復讐するという。時に三尺(約90p)くらいの人に変じて蟹を取り、人家で炙って食べるという。後段の性質はむしろ山人、山童の伝承に近い。
 本邦の博物誌、寺島良安『和漢三才図絵』でも天狗は「治鳥」の項に載せられている。鳶のような姿の木の葉天狗や、菊岡沾涼『諸国俚人談』に見える川の魚を漁る鳥のような天狗の話の源流はこの辺りにある可能性がある。ただ、実際の所、江戸時代の学者が、天狗に相当する類似の怪物を大陸の博物誌の中に見い出せなかったので、この化鳥に無理矢理こじつけたとも考えられる。

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2.夜叉としての天狗

 続いては、仏教が広まると同時に現れてくる、仏法の妨げを為す存在、邪神としての天狗について見てみたい。

 大陸では星の一種であった天狗も、我が国固有の信仰や仏教、特に修験道と関わることで独特の存在となって行くと考えられる。本章では先ず仏教との関わりについて述べる。
 天狗は初め、仏教に敵対する魔性の者として立ち現れてくる。つまり仏教に敵対する存在である夜叉飛天やら天魔波旬(はじゅん)を指して天狗と称したのである。天狗の姿のうち、空中を飛行する翼は飛行夜叉に因むともいう。本来は少しづつ異なる存在であった夜叉や天魔、天狗が同一視されたわけである。
 例えば夜叉は本邦の天狗に比されるが、本来は毘沙門天の眷属の鬼神で、八部衆の一つともされている。つまり仏法を守護する神でもあるわけである。また、夜叉はサンスクリット語で勇健の意味を持つヤクシャ(Yaksa)の音訳で又の名を薬叉とも言う、容貌醜怪、猛悪なる鬼神とされる。空中を飛翔することができると考えられており、これを飛行(ひぎょう)夜叉と言った。また天魔とは仏教世界において、欲界六天の頂上、第六天にいる魔王とその眷属を指す言葉である。この事に関しては、織田信長が自ら第六天魔王と称し、僧達に恐れられた逸話が有名であろう。これらは常に正法を害し、仏道の障害をなす。そして人心を悩まし、智慧善根を妨げる悪魔である。この語は、サンスクリット語で悪者の意味を持つ波旬(papiyasの音訳、第六天の魔王のこと)と一緒に、「天魔波旬」として用いられる。これは仏教に敵対する悪魔の総称に近いものがあると考えられる。結局、これらは天魔鬼神とか、天魔外道とか、厳密に区別されることなく用いられている。こうして天狗=夜叉=仏道を妨げるもの、という構図が定着していったと考えられる。

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 ただし、この種の天狗が登場した頃、つまり平安時代頃までは天狗の姿は一定しない。天空を飛行するという性質は共通のようであるが、僧侶や仏に化けたり、人に憑いたり、糞鳶(ノスリ)の姿をするなど、様々な伝承が残されている。ただし、大まかには鳥の姿の鳥類天狗と括ることはできるとは思われる。次にはごく初期の天狗の用例を挙げてみよう。

  「かくはるかな山に、誰れかものの音調べて遊びゐたらん、天ぐのするにこそあらめ
   (『宇津保物語』「俊蔭」天禄〜長徳年間(西暦970〜999年)頃)
  「事の心をし量り思たまふるにてんくこだまなどやうの物のあさむき率てたてまつりけるにやとなんうけたまはりし
   (『源氏物語』「夢浮橋」長保三年(西暦1001)以降)

 これらの天狗は、具体的な形を持たない、謂わばもののけの一種として捉えるのが正しいかと思われる。
 一方で、仏道を妨げるこの種の天狗は、『今昔物語』(保安元年(西暦1120年)以降、保元の乱(西暦1156年)以前に成立)に収められた説話や、それを元にした「是害坊絵巻」(鎌倉期以降)のように、しばしば鳶のような姿で描写される。これが僧侶の修行を邪魔する天狗の典型的な姿だと思われる。
 『今昔物語』に収録された印度から渡ってくる天狗の説話には、「天竺の天狗、海の水の音を聞きて此の朝に渡れる語(こと)」(巻二十本朝部付仏法、第一)、「震旦(しんたん)の天狗智羅永壽(ちらえいじゅ)此の朝に渡れる語」(同、第二)がある。特に智羅永壽の話は人気があったらしく、是害坊、是界坊という名で絵巻に描かれたり、謡曲の題材になったりしている。次には謡曲の『是界』に描かれたその台詞を引用する。

  「いかに御坊、今しも何の観念をかなせる。それ若作障礙(にゃくさしょおげ)即有一仏(ういちぶつ)、魔境と説けり。あら痛はしや。欲界の内に生るる輩(ともがら)は、悟りの道やそのままに、魔道の巷となりぬらん

 大陸から渡ってきた天狗が、比叡山の高僧に挑戦しようとして、その法力のためにさんざんに痛めつけられるという説話である。滑稽な笑い話ではあるのだが、その後ろには、天台の高僧達の法力の宣伝という目的が隠れていると考えられている。

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 また、『今昔物語』には、僧を騙す“天狗の偽来迎”と呼ばれる説話もある。これは「伊吹の山の三修禅師、天宮の迎へを得たる語」(巻二十本朝部付仏法、第十二)である。この説話では、余り学問をしないが極楽往生の希望だけは強い法師が、天狗の作りだした偽の来迎に欺されてしまう。この話は次の様に結ばれている。

 「如此(かくのごとき)の魔縁と三宝の境界とは更に不似(に)ざりける事を、智(さと)り無きが故に不知(しら)ずして被謀(たばからる)る也となむ語り伝へたるとや

 また、僧侶に対する攻撃の際に、天狗が女人に憑くという話も伝えられている。やはり『今昔物語』にある「仏眼寺の仁照阿闍梨の房に天狗の託きたる女来たれる語」(巻二十本朝部付仏法、第六)という説話である。ここでは僧侶を堕落させる為に、天狗は女に取り憑いて僧に言い寄っている。結局は不動明王の加護のために天狗は術を破られてしまう。そこで天狗は「惣て翼打ち被折(おられ)て、難堪(たえがた)く術無く候ふ。助け給へ」などと泣き言を並べている。ここでも天狗の本体は、翼を持った姿としてイメージされている。

 僧侶だけを対象としている訳ではないとはいえ『今昔物語』には、他にも天狗が仏法をねじ曲げて人を欺そうとする話も収録されている。「天狗、仏と現じて木末(こずえ)に坐(いま)せる語」(巻二十本朝部付仏法、第三)である。これは天狗が仏に化けて木の上に現れ、人々の礼拝対象となるが、やがて正体を見破られてしまうという説話で、その正体はやはり「大きな糞鵄」であったという。この他、『今昔物語』には、天狗に習った云う幻術を見せる下衆法師の話など天狗に関わる説話などが収録されている。

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 ところで、『今昔物語』には天狗と龍の対立を描いた「龍王、天狗の為に取られらる語」(巻二十本朝部付仏法、第十一)という説話も収録されている。これは讃岐の満濃池に棲む龍王が、小蛇の姿で池の土手で昼寝をしていたところ、比良の天狗に攫われ、岩屋の中に閉じ込められてしまう。龍王は水が無いので神通力を発揮できないで困っていると、今度は天狗が比叡山の僧を水の入った柄杓ごと攫ってくる。その水で力を取り戻した龍王は僧と共に岩屋を破って飛び去る。後に天狗が京で法師に化けているのを見付けた龍王はこれを蹴殺してしまう、と言う説話である。殺された天狗は翼の折れた糞鵄(=ノスリ)に変じてしまったという。

  「天宮(てんぐ)、京に知識を催す荒法師の形と成りて行(あるき)けるを、龍降りて蹴殺してけり。然れば、翼折れたる糞鵄(くそとび)にてなむ、大路に被踏(ふまれ)ける

 この説話からは、当時天狗の姿として鳶のような鳥がイメージされていたことや、既に人攫いが天狗の仕業とされていたことが分かる。
 ここで思い出されるのは、ヒンドゥー教における霊鳥ガルーダ(Garuda)と竜神ナーガ(Naga)との関係だろう。ガルーダとナーガとは不倶戴天の敵同士として語られる。そしてこのガルーダが仏教に守護神の一柱として取り入れられた姿が迦楼羅なのだが、鳥類天狗の図像はこの迦楼羅像の影響を受けて成立したという考え方もあるのである。これらことから、この説話の天狗と龍の対立構図も、遠く印度にその源流を持つ可能性もある。なお、鼻高天狗の方の原型としては、舞楽面の一つ胡徳面や伎楽面の一つ治道面が考えられている。この他にも、舞楽面の崑崙八仙(ころばせ)の面は、冠鶴を表したものとされているものの、その造形には迦楼羅や烏天狗に近いものがあるように思われる。

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 『今昔物語』などに代表されるこうした説話は、天台系の密教僧達によって、積極的に流布された形跡がある。つまり説話は彼らの験力を宣伝する格好の材料というわけである。天狗は人を病気にしたり、僧と法力を争ったりしているが、結局は天台の僧侶がこれら天狗と戦いこれを打ち負かすことで、己の験力を誇示している形になっているのである。彼等天台僧達は、はこの世の異常の説明手段として「天狗」を用いていると考えられている。これは、嘗て朝廷で陰陽師達が鬼や妖狐を以て異常の説明とし、これを退治することでその勢力を伸ばしたのと全く同じ構図である。

 仏法の妨げをなす天狗について、日本仏教の拠点の一つ天台宗の比叡山に伝わる物語も述べておこう。比叡山には天狗怖しと呼ばれる修法があったという。これは修行の妨げをなす天魔・天狗の類を調伏するための修法とされる。その様子は『渓嵐拾葉集』註1)巻六十七「怖魔の事」に詳しい。そこには「山門常行堂衆夏末ニ常行堂ニ於テ大念仏ト申ス事アリ。仏前ニテハ如法ニ引声ス。後門ニハハ子ヲトリ無前無後ニ経ヲ読ム也。是山門古老伝ニ天狗怖ト申シアヘリ」とある。また、熊野の那智でも同様の作法が存在したという。正面の仏前では通常のしきたりに則った行を行うが、摩多羅神の祭られる堂の後戸では、順序立てずに経典を読み、跳ね踊るというのだ。そして、敢えて退けるべき天狗に屈したかのように常軌を逸した作法を取ることで、逆に天狗を脅すのだという。
 また、『渓嵐拾葉集』の「怖魔秘術の事」という項目には修行を妨げる魔を退散させる為の秘術が伝えられているが、そこからは、鳶が天狗の化身と考えられていたことも解る。一方で、天狗=夜叉神は摩多羅神とも習合し、さらに様々な問題を提起して行くが、これ以上の言及は本稿の範囲を超えてしまう。摩多羅神と荼吉尼天との関係、常行堂や後戸の神、あるいは芸能神としての摩多羅神の話は又機会を設けて稿を改めたい。
 ちなみに、宗教儀礼に関わる天狗については次のような事例もある。奥三河の花祭で行われる「天(あま)の祭」という修法があるが、そこでは祭りに先立って太夫により天狗祭文が読まれ、天狗が勧請される。また静岡県水窪・西浦には司祭者による「天狗祭」という修法を祭に先だって行う例もある。これらは祭りを掌る太夫、別当が、威力の強い強大な神霊、即ち天狗を勧請し、それを鎮めると共にその通力を自らのものとすることを目的に行われたものだという。これらの事からも、人々が天狗に対して持っていた、巨大な霊力のイメージをうかがうことができると考えられる。

  註1)『渓嵐拾葉集』:天台宗にまつわる仏教教義、修法、説話、巷説、医術、歌道など様々な資料を応長元年(西暦1311年)から貞和四年(西暦1348年)にかけて光宗という僧が集成したもの。中世に関する一種の百科全書の体をなしている。

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 なお、真言宗では夜叉神を荼吉尼天・聖天・弁財天の三天と同一の尊格と考えていたらしい。ここからも夜叉神を通じて天狗と荼吉尼天や聖天が習合していく背景が形作られる。これら仏教における鬼神(天部)について、次にやや詳しく述べてみたいと思う。
 天狗と同一視された仏教における鬼神は、本章の冒頭で述べたように夜叉とされたことから天狗と習合したのだと考えられる。それら鬼神には頻那夜迦や荼吉尼天などがある。僧の諦忍が著した『天狗名義考』(江戸期)にはこうした天狗説が載せられている。諦忍が書中で引用しているのは『寂照堂谷響集』で、「比那天狗従我教見之。魔波旬属。頻那夜迦荼吉尼等亦其類也」(※原文では「荼(だ)」ではなく「託」の言偏を口偏に変えた漢字を用いる)と記されている。要は、天狗とは天魔波旬の仲間で、頻那夜迦や荼吉尼天の類であるということである。

 この中の頻那夜迦(びなやきゃ)とは、ヒンドゥ教のガネーシャ(Ganesa)のことである。頻那夜迦/毘那夜迦はヴィナーヤカ(Vinayaka)の音訳だが、別名をナンディケーシュヴァラ(Nandikesivara)とも云う。漢訳して俄那鉢底(がなばつてい)あるいは難提自在天(なんでいじざいてん)と云う。元々の意味は障礙神の王というものである。また『大聖歓喜双身毘那夜迦天形像品儀軌』に、このものを六通自在故に聖天と名付ける、とあることから、聖天、歓喜天としても良く知られている。なお、三宝荒神の本体もこの神とされている。例えば「此ノ障礙神ト云フハ、世ニ大聖歓喜天トモ聖天トモ云フ物ノ事ニテ、天竺ニテモ毘那夜加ト云フ」(『玉手繦』)などと伝えられている。荒神も多様な性格を持っていて、本稿の目的の範囲を超えてしまうので、此処では関係があると言うことだけ指摘するに止めておきたい。
 ただ、民間でも神通力を持ち色々な福を授けてくれるということから歓喜天の信仰は盛んである。夫婦和合なども司り、象頭の男女双身像が良く知られているが、その姿故秘仏の場合も多い。ただし、ヒンドゥー教におけるガネーシャ自体は、有名な神格であると思われるので、ここで詳細に述べることはしない。我が国でも聖天、歓喜天としては単独の神として信仰されているが、頻那夜迦と云う場合は障礙神としての性格が強いようである。夜叉と見なされ、天狗と同一視されるのも、この鬼神のこうした障礙神としての神格であると思われる。
 ただし、図像学的に見た場合、この神は確かに鼻が大きい訳なのだが、象頭としての性格上鼻が「長い」のであり、鼻高天狗とはだいぶイメージが違うように思われる。

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 続いて、やはり夜叉と見なされ、天狗とも同一視された荼吉尼天(漢字の表記には異同がある)についても述べておきたい。荼吉尼天は元々、ダーキニー(Dakini)と呼ばれた印度の地母神が仏教に取り込まれたものである。ダーキニーは、豊饒を掌る美しい女神であり、バラマウ地方のドラヴィダ人の一部族カールバース人に信仰されていたという。ただしヒンドゥ教の神々の大系に組み込まれると、カーリー女神に仕える恐ろしい存在となった。更に仏教に取り入れられると人を喰らう鬼神とされ、人の死を六ヶ月前に知ってその内蔵を喰うとされる。また『十王経』に説く三鬼の一つ、死に臨んだ者の精気を奪う「奪精鬼」とも同一視された。因みに、荼吉尼天を調伏するのはシヴァ神の別称ともされる大黒天(摩訶迦羅天Mahakala)であるが、荼吉尼天はこの大黒天とも習合している。つまり、「此の大黒は、人の血肉を喰らふ神也。すなわち奪精鬼と名づく也。故に此の神は屍堕林に住み給う也」と伝えられているのである。こうした複雑な神格にはしばしば起こる事ではあるが、調伏する者とされる者とがいつの間にか同体になってしまっているのである。とまれ荼吉尼天は、こうした予知能力の連想からか、通力自在の強力な神として、特に密教や修験道で信仰された。中世に権力者が行ったという荼吉尼天法が有名である。邪教とされて弾圧された立川流の修法もこの系譜を引くと思われる。
 なお、この荼吉尼天は乗り物あるいはその化身である狐(本来は野干=ジャッカルである)を通して稲荷神と習合したり、飯縄権現の本体とされたりしている。飯縄権現は信濃あたりで山岳信仰と結びつき、修験道の信仰対象ともなっている。これらの点については、後の山岳信仰の部分で再び言及する予定である。これらの鬼神は、本来的には我が国の民俗的存在たる天狗とは異なるものだが、後の天狗像に大きな影響を与えている点は否定できないと考えられる。
 また、図像学的に見てみると、荼吉尼天は通常狐に乗る美しい女神として表される。これは弁財天の性質などとも習合しているためと考えられている。ただし、一部、例えば天川社などに伝わる頭部が蛇の異様な図像もある。これはおそらく宇賀神や稲荷神との習合の結果であろう。一方、飯縄権現の図像は、簡単に述べると狐に乗る烏天狗の姿である。つまり翼と嘴を持っているのである。

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 ここで、仏教とはやや離れるが、邪神として描かれる天狗についても見てみよう。
 日本の百科辞典的書物である寺島良安『和漢三才図絵』(正徳二年(西暦1712年))では、『先代旧事本紀』を引いて素戔嗚尊の体内の猛気が吐き出されて天狗神(あまのざこがみ)と成ったという俗説を記している。この神は高い鼻と牙、長い耳を持つ姫神で、天逆毎姫(あまのさこのひめ)と称したという。力が強く、またどんなに強靱な矛や刀でも噛んで毀してしまうという。その子である天魔雄神(あまのまかおのかみ/あまのさかおのかみ)あるいは天魔雄命(あまのざこのみこと)と共に暴れ回ったため、天魔雄神を九天の王として荒ぶる神、逆らう神を皆これに属させたという。また、諦忍が著した『天狗名義考』にも同じく『旧事本紀』を引いて同様の説を掲載している。
 ただし、この説は信憑性に乏しい。引用元の文献である『旧事本紀』自体が平安時代の偽書らしいからである。寺島良安も「正説ではないが」と断っている。ただし、素戔嗚尊は太陽と月とを兄姉とする嵐(風)の神であり、元々の天狗がやはり天空の光を表すことなどを考え合わせると、単なる妄説として退けてしまうのには躊躇するものがある。つまり、こうした説が主張される、それなりの背景があったのではないかと考えられるのである。
 ちなみに、これは昔話に語られる天邪鬼の原型ともいえる。また、鳥山石燕は『今昔画図続百鬼 明』に、「天逆毎」として同様の由来を詞書きにし、刀を噛み砕く鬼神を描いている。

 一方、近世の神道家は、衢(ちまた)の神である猿田彦神を天狗に比定している。猿田彦は目輝き鼻高い異相の国津神であり、天孫降臨の際には先頭に立って案内を努めた。ただし、鼻が高いなどの形態としての共通点は確かにあるものの、文献上、猿田彦を天狗とする様な記述は見られない。筆者はこれは別種の神格と見るべきだと考えている。
 このことに関して、少し補足しておきたい。古代の伎楽において、行列の露払いを務めたのが高い鼻の面を被った治道という役であった。これに対し、後世の祭礼の先導役は天狗や猿田彦、王舞などとされるが、何れも鼻が高い容貌魁偉な面を用いる。こうした祭礼の先導役としての機能の類似から、それぞれの同一視が生じたのだろう。ただし、ここから単純に猿田彦は天狗であるとか、治道面が鼻高天狗の原型だなどとは言えないのではないかと思う。勿論治道面の形態が、何らかの影響を与えた可能性は高い。だが、こうした民間信仰のような分野で、あるものが原型でそれが一方向に変化したという、一対一の単純且つ一方向のみの影響を論じるのは危険なのではないかと考えている。

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 さらに後の室町時代末期、西洋から基督教が持ち込まれた。そのとき基督教の悪魔の訳語として充てられたのが天狗であった。民間伝承とは異なるものであるが、参考として述べておこう。慶長四年(西暦1599年)の『ぎやどぺかどる』などにその例を見ることが出来る。

  「天狗の謀略、あにまを出入りし様々に変ずる事を弁へ、万の望みを本とせず、表むき善なりと見ゆる事に、早く同心せざる事も此善也」(下、二・四)

 また、棄教したイエズス会士ハビアン(西暦1565〜1621年)の書いたとされる基督教難詰の書、『破提宇子(はでうす)』にも次の様な一節がある。

  「無用の天狗を造り邪魔をなさするは何ということぞ。けだしデウスの造りそこないか

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※会話調の簡略版「天狗覚書」(挿絵付)


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