天狗覚書(承前完結)

 0.緒言
 1.原天狗
 2.夜叉としての天狗
 3.山神としての天狗
 4.怨霊としての天狗
 5.他界の天狗
 6.結び
 7.参考
 8.参考文献



5.他界の天狗

 最後に、これまでと少し性質を異とするが、民俗伝承として良く語られる天狗、即ち異界で社会を持つ天狗達、山で出会ったり、神隠しを行う、他界から来訪する存在としての天狗について見てみたい。

 近世になると、天狗の持つとされた神通力も、天狗に対する畏怖も共に衰えてくるようである。近世の天狗達は最早国家天下の転覆を謀ることもなく、むしろ滑稽な役割を果たすようになる。昔話などでは智恵者の人間に欺される役でさえある。
 だが江戸時代頃までは天狗の神秘性は生きていたと考えられる。江戸時代までには成立していたとされる『天狗経』には、全国の山々には名の知られた四十八の大天狗と、十二万五千五百の天狗が棲んでいると記されている。
 さらに、天狗に攫われて異世界へ行ったというような話は、江戸期の随筆などの各種文献に数多く残されている。天狗は、神隠しと称される行方不明事件の首謀者として、鬼、狐と並んでよく知られた存在である。直接的にこの種の行方不明事件を指す「天狗隠し」という言葉もある。これらの伝説は、しばしば「天狗松」や「天狗の止木(とまりぎ)」と呼ばれる神木、即ち一種の神の依代と結びつけて語られる。天狗に攫われた子供や若者は、突然姿を消し、数ヶ月あるいは数年後にあたかも空中から現れたかのように突然戻ってくると伝えられる。柳田國男の報告では、石川県では天狗攫いにあった人を探す際に、「鯖喰った伊右衛門やーい」と唱えたという。天狗は鯖を嫌うからと説明されたそうであるが、おそらくこの呼びかけの文句は、元々は魚の鯖ではなく、神などに対する供物であるサバ(生飯・散飯)に関連して唱えられたものかと思われる。

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 また、特に江戸時代の知識人達はこうして連れて行かれた先の異界に興味を持っていたらしい。随筆などにしばしば取り上げられるのは彼らがこうした興味を持っていたからであると考えられる。最も有名なのは国学者の平田篤胤であろう。ただし、天狗に攫われた者達の証言は、一般に想像力に乏しく、一様に貧相で類型的であるように思われる。
 松浦静山『甲子夜話』には子供の頃に天狗に攫われたという男の体験が記されている。空を飛んで諸国を巡った、あるいは宴会や猿楽があった、一ノ谷の源平合戦の様子を見せられた、などという話である。天狗の階級や祭礼などの証言も少しはあるが、余り独創的な内容ではないようである。木の葉天狗は年経た狼の変化で白狼(はくろう)と言う、という伝承や、恐山に狗賓堂があって祭礼を行うなどの伝承はここで言及されたものらしい。他にも、稲田喜蔵が『壺蘆圃雑記』に天狗界を行き来して江戸中で評判になったという神域四郎兵衛正清についての聞き書きを記している。そこには、空を飛行するのには翼を使わず飛び上がり、三百里は飛べる。とか天狗同士は争わず、殺人術は習わないが不敗の術があるので、どんな武器に対しても決して敗れることはない。など天狗界の風俗が記されている。
 一方、平田篤胤が執心したのは寅吉という少年の体験談である。寅吉(後に高山嘉津間と称す)は文化9年(西暦1812年)、七歳の時に天狗と共に空を飛んだという。平田は『仙境異聞』にこれをまとめている。どういった物を食べるか、あるいは三千年生きる場合がある、羽団扇を用いて空を飛ぶ、など天狗界について様々な事が記されている。さらに、羽団扇は孔雀の冠毛を飛ばす武器であるとか、天狗も鉄砲を持っているとかも言っているらしい。なぜか先述した稲田の著書に出てくる正清の証言とは随分異なっている。寅吉の話には、むしろ平田の誘導尋問に乗っていると思われる事柄が多く、また故意か否かは判断できないが、平田の望む回答を述べているという印象が強い。寅吉は本当に何らかの異常な体験を持っていたのかもしれないが、おそらく偏向した平田の記述を通し、それは酷く歪められてしまったと思われる。平田自身はひどく彼を気に入って、他の文人にも会わせず、独り占めしていたと伝えられる。同時代の他の文献や平田の弟子の書き残したものの内容からも、この話は、平田の望む世界観に寅吉が迎合して造り上げたものに過ぎないと考えられる。

 これらの話からは、狐や鬼に拐かされた場合も同様に、攫われた者達が語る幻想は、国学者達が単純に信じた異世界の証拠などではなく、むしろ貧しい子供や、精神に障害を抱えた人々の切なる願いが、神隠しという名を借りて現れたものであると考えられる。そのために、異世界の内容も長生きや御馳走など、極めて貧相で限定されたものとなったのだと考えられる。

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 これに対し、民間伝承としては、山などで、天狗の起こす現象と出会った、ということが数多く伝えられている。山中他界などともいわれるが、人々の山に対する畏怖が天狗という共同幻想を生んだとも言えよう。
 例えばどこからともなく石がばらばらと飛んでくる天狗礫(つぶて)、誰もいないはずの深山幽谷から大勢の高笑いが聞こえる天狗笑い、木の倒れる音だけして音がしたと思われる場所に行っても何もない天狗倒し、別名天狗なめしなどが有名である。また、突然吹き下ろしてくる旋風のことを天狗風と言う。他にも各地に天狗囃子・天狗のお神楽や天狗太鼓、天狗ゆすりなどの怪異が伝えられている。天狗笑いに似ているが、誰もいないはずの深山や森の中で突然声を掛けられるという怪異もある。これも天狗によるものとされる場合が多い。ところで、これが先に述べた何々坊という大天狗の伝説や白峯の伝説と異なるのは、天狗そのものは姿を現さないということである。実在するのは現象だけなのである。つまり、不思議な現象の説明大系として天狗が機能していると考えられるのである。むしろこうした怪音現象こそが、民間の天狗の本体であった可能性が高い。ただし、相州や東海地方には天狗火のように視覚的な現象もある。それでもやはりこの場合も天狗そのものの具体的イメージは乏しいと考えられる。このような理由から、修験者やら天狗の伝承とは異なる社会背景を持つ所では同じ現象が起きても、「古杣(ふるそま)」や「空木(そらき)返し」というように天狗とは異なる名称を持つ場合が生じるのである。

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 ここでは天狗に関わる民間の風習を紹介する。それは、山に入る者達が、天狗による怪異を避けるために行ったという狗賓餅と呼ばれる風習である。これは一種の山の神への供え物と言って良いと考えられる。
 また、民間では山中など人里離れた場所にある得体の知れないものに、天狗の何々という名称をつけることが良くある。そのうち一つを紹介しておきたい。それは「天狗麦飯」である。これは藍藻類の藻や糸状菌の塊である。淡い灰緑色や褐色の粘質粒状で、笹に覆われた地面に生じる。古くから食用とされ、飯砂、味噌土などとも呼ばれる。本州の火山の高地、戸隠、黒姫、飯縄、浅間などに生える。これらの地はいずれも山岳信仰に縁が深い場所であり、天狗の名が冠されたのも当然と言えよう。

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 因みに、妖怪画で有名な鳥山石燕の一連の『百鬼夜行』シリーズには天狗に関して三つの絵がある。「天狗」、「天狗礫」、「襟立衣」の三つだ。特に「天狗」は最初の巻(『画図百鬼夜行 陰』)の第二番目に描かれている。当時天狗が非常に有名な妖怪であったことがうかがえる。
 結局、こうした民俗の背景となっていたのは、山伏や修験者に代表される神仏混淆の山岳信仰だったのだと考えられる。従って、明治以降に山岳信仰が衰えると共に、天狗に対して残っていた信仰や伝承も、急速に姿を消してしまったのである。

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6.結び

 本稿では、天狗について五つの視点を設け、その特徴を抽出する事を試みた。
 それをまとめると以下のようになる。まず、「天狗」とは元来大陸で天文現象に当てられた名称であったが、我が国でもこれを取り入れた。この「原天狗」は、固有の信仰や仏教の影響を受けて次第に変容してゆき、今日まで伝わる民俗的な天狗となったと考えられる。
 天狗の性質を考慮すると、大きく分けて、仏法の妨げをなす存在として語られるもの、山岳の神と同一視されたもの、恨みを残してこの世を去った人間や、驕慢な僧侶が死後に化したと見なされたもの、そして民間に伝わる天狗に分類できると考えられる。そして、民間に伝わる天狗像は、神隠しなど他界と里を行き来する存在として、あるいは人里離れた場所での怪現象の説明体系として伝承された来たと考えられる。

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7.参考

 最後に、先人によって天狗はどのように考えられてきたのか、参考のためにその幾つかの例を示しておきたい。

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 まず江戸期の知識人の認識を示そう。
 先にも触れた滝沢馬琴の『烹雑の記』の記述がその代表例である。しかし、ここではそれとは別に、比較的良くまとめられていると考えられる宝暦四年(西暦1754年)の『竜宮船』二の記述を引用する。

  「天狗といふもの上古には沙汰なきものにて、中古より国の所々名山高山などに住む。其形人のごとくにして、高き鼻鳥の喙肉の翅有りて、能(よく)飛行すと。しかれどもさだかに見たる人も稀なり。世の中凶き事あらんとする時はあらはれ、若(もし)また高慢の心有る人をば、つれ行きて引き裂きなどして、樹の枝もかけおくことありとぞ

 この後山岡元隣、新井白石らの例話や解説を引用し大陸の天狗と相違することを述べている。この記述からは、大陸の天狗と区別した上での、当時の一般的な天狗のイメージを窺うことができると考えられる。

 また、儒学者や国学者も天狗に関する様々な記述を残している。儒学者の見解は、いわば仏教批判のための口実であり、天狗に関する叙述は僧侶を攻撃するための題材に過ぎないと言っても過言ではないと思われる。この代表的な例は林羅山によるもの(『本朝神社考』)であり、その論理は古今の著名な僧侶に関する噂や中傷を集め、その悪行から天狗となったというものである。以後の儒学者も基本的には林の見解を受け継ぐが、何れもまず仏教の否定ありきという姿勢であり、これらの内容は一般に信憑性が低く価値は高くない。国学者のうち、最も研究に熱心だった平田篤胤(『仙境異聞』、『古今妖魅考』)については本文中で触れた通りである。

 一方、仏教僧にも天狗に関する記述を残した者がいる。その代表的なものが本文中でもしばしば言及した諦忍であり、彼の『天狗名義考』(宝暦四年刊、西暦1754年)である。彼は古今の天狗説を渉猟し、多岐にわたる解釈を記している。ただし、記述が散漫であり、仏教的因縁譚として教訓を与えるとの姿勢が強く、民俗学的資料と見た場合にはその正確性には疑問が残るとされている。ところで、彼以前にも、より客観的で適切な見解を示した僧がいる。真言僧の道敞僧正である。彼は智積院の七世で、智山教学を興した当時を代表する学僧であった。彼の随筆『谷響集』(元禄2年、西暦1689年)には「天狗」、「延命地蔵経」、「天狗星」の項目があり、天狗についての記述がある。それは大陸の天狗との区別を行った上で、我が国の天狗の持つとされた様々な性質を検討したもので、彼の学識を感じさせる正確な記述であるとされている。

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 次に、近代の民俗学者の見方の一端を示す。初期の妖怪研究家である井上円了は、『天狗論』で多くの天狗伝説を蒐集・紹介している。彼は天狗も又他の妖怪と同様迷信の産物とし、何れの現象も自然現象であると解釈している。
 また、我が国の民俗学の泰斗、柳田國男は「天狗の話」で天狗の特徴として次の点を挙げている。即ち一、清浄を愛すること、二、執着が強いこと、三、復讐を好むこと、四、任侠気質である。彼はこれらを「儒教に染め返さぬ武士道」と定義し、この道徳が中庸に留まれば武士道で、極端に走れば天狗道だと述べている。この気質は中世の修験道の持っていたものと言うこともできる。柳田は当初天狗、山人、山童などの山の妖怪は、里人とは異なる社会を営む異人が山中に実在し、それが妖怪現象として伝わったものだ考えていたようである。

 それでは、辞書などに記される、天狗についての今日の共通認識を記す。以下に述べることは現在の定説であると考えて良いと思われる。

 天狗とは、天上・深山などに棲まうとされる妖怪を指す。山の神の霊威を母体とし、御霊信仰を併せ、また修験者のイメージを取り込んでその姿を具現化したものである。大陸では流星あるいは獣の一種として、仏教では夜叉として認識された存在が、本邦で修験道などの影響下に独自な存在へと変化したものと考えられている。また、民間の天狗像は、中世まで流布していた山の鬼を原型として普及したとも言える。
 天狗の概念は時代によって変化したが、一般的に言って三種に分けられる。第一は勧善懲悪や仏法の守護を担う山神(これは本稿の第二「山神としての天狗」に相当する)であり、第二は驕慢な法師、堕落した僧侶の変化としての天狗(本稿の第一「夜叉としての天狗」の一部と第三「怨霊としての天狗」の後半部に相当する)、第三は怨恨や憤怒を現世に残したものの化したもの(本稿の第三「怨霊としての天狗」前半部に相当する)である。天狗を悪魔や悪戯者と解する場合はこの第二種および第三種のものを指すのだという。
 天狗の性質としては次のようなことが挙げられる。一般に山伏姿で赤い顔をして鼻高く、翼と長い爪を持つ。金剛杖・太刀・羽団扇を持ち、飛行自在、神通力を有す。容貌の類似から祭礼行列の先頭を行く猿田彦も天狗と考えられることもある。また、これとは別種に小天狗・烏天狗と称して鳥の喙を持つ鳥類型の天狗も伝えられる。これらの様々な姿は、時代を経るに従って次第に形成されたものと考えられている。時代的な変遷としては、鳥類天狗が古く、僧侶の化した天狗を経て、山伏型の天狗が定着したと思われる。

 (了)

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8.参考文献

 阿部正路『にっぽん妖怪の謎』東京ベストセラーズ1992
 荒俣宏『怪物の友』集英社1994
 荒俣宏『世界大博物図鑑』平凡社1988
 伊藤清司『怪奇鳥獣図巻』工作舎2001
 今泉淑夫編『日本仏教史辞典』吉川弘文館1999
 岩井宏實『暮しの中の妖怪たち』河出書房新社1990
 岩井宏實監修・近藤雅樹編『図説日本の妖怪』河出書房新社1990
 上原昭一『日本の美術233 伎楽面』至文堂1985
 小松和彦『神隠し』弘文館1991
 小松和彦『日本妖怪異聞録』小学館1995
 小松和彦『妖怪学新考』小学館2000
 小松和彦『妖怪文化入門』せりか書房2006
 小松和彦ほか『日本民俗文化大系4 神と仏』小学館1983
 笹間良彦『日本未確認生物事典』柏美術出版1994
 高田衛監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』国書刊行会1992
 多田克己『百鬼解読』講談社1999
 谷川健一『魔の系譜』講談社1984
 知切光蔵『天狗の研究』大陸書房1975
 寺島良安『和漢三才図絵』平凡社1985
 豊島泰国『図説日本呪術全書』原書房1998
 西川杏太郎『日本の美術62 舞楽面』至文堂1972
 馬場あき子『鬼の研究』三一書房1971
 宮田登・小松和彦他『日本異界絵巻』河出書房新社1990
 柳田國男『妖怪談義』講談社1977
 柳田國男『遠野物語』角川書店1955
 柳田國男『山の人生』(『柳田國男全集』筑摩書房)
 山本ひろ子『異神』筑摩書房2003
 湯本豪一『妖怪と楽しく遊ぶ本』河出書房新社2002
 湯本豪一『日本幻獣図説』河出書房新社2005
   *****
 大塚民俗学会編『日本民俗事典』弘文堂1972
 神田より子他編『日本民俗大辞典』吉川弘文館2000
 国史大辞典編集委員会編『國史大辞典』吉川弘文館1984
 宮地直一・佐伯有義『神道大辞典』平凡社1937
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 野上豊一郎編『解註 謡曲全集』中央公論社1951-
 坂本太郎他校注『日本書紀』(『日本古典文學大系』67岩波書店1965)
 池上洵一編『今昔物語』岩波書店2001
 滝沢馬琴『烹雑の記』(『日本随筆大成』21吉川弘文館1994)
 高木市之助他校注『平家物語』(『日本古典文學大系』32,33岩波書店1959)
 後藤丹治他校注『太平記』(『日本古典文學大系』35,36岩波書店1960)
 中村幸彦校注『上田秋成集』(『日本古典文學大系』56岩波書店1959)
 司馬遷『史記』(『新釈漢文大系』明治書院1973)
 その他 『広辞苑』ほかの漢和、国語辞典、歴史・文学史に関する諸書籍

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