●蛇足の解説(天狗)の巻 III
第三 山神としての天狗 さて、仏教の影響は受けたものの、障礙神とは異なる存在となった天狗もいる。ここでは神仏混淆の産物である山岳信仰に関わり、山神としての性格がより強い天狗を見てみよう。 中世も後半に入ると、修験道の影響を受け、天狗の姿として山伏姿が一般的になってくる。兎巾を被り、結袈裟と篠懸の衣を纏い、一本脚の高下駄を履く姿である。そして手には羽団扇を持ち、刀や金剛杖といった武器を所持しているのが普通だ。一方で、これら山に棲む天狗、特に大天狗達は、仏法を守護し、勧善懲悪的な性格を持って描かれることが多い。山の神の性格も併せ持つ場合もあり、天狗に大力を授かったなどという遠野の伝説もこうした例と考えることが出来る。ただし、修験道との関わりが薄い山中の怪異に関わる件については、後の第五章、他界の天狗の時に述べることにする。 こうして山伏姿の大天狗が形成、定着してゆく。だが、これは古代の山の怪の主役であった鬼に取って代わり、その地位を天狗が奪ったことを意味している。そして鬼を祓うことで勢力を伸ばした陰陽師達の時代の終焉と、山岳密教や修験道の隆盛とを暗示しているわけだ。 このような天狗については、謡曲「鞍馬天狗」に登場する大天狗がその典型といえるな。 「抑(そ)もこれは、鞍馬の奥僧正ヶ谷に、年経て住める大天狗なり」 著名な大天狗の住処とされる山は、何れも山岳信仰の中心地として知られる場所だ。例えば八大天狗と呼ばれる存在がある。京の都は愛宕山の太郎坊、近江比良山の次郎坊、信濃戸隠の飯縄三郎、鞍馬の僧正坊、熊野大峯の前鬼・後鬼、山陰の大山伯耆坊、四国は白峰相模坊、九州の彦山豊前坊の八人の天狗のことだ。ただし大山の天狗は清光坊とも言う。また、神奈川の大山の天狗の名も又伯耆坊という。鞍馬山には牛若丸こと遮那王に兵法を伝授した魔王大僧正という天狗もいる。この天狗は毘沙門天の化身と伝えられ、その本体は愛宕太郎坊と共通だ。おそらく同じ天狗なのだろう。八大天狗の方の鞍馬僧正坊の本体は、弘法大師の孫弟子の一人壱演僧正ともいわれている。この辺りは伝承が錯綜していてよく分からないな。この他にも富士山の太郎坊、白山白峯大僧正、比叡山法性坊、叡山横川の覚海坊、葛城山高間坊、如意が嶽薬師坊、高雄内供奉、妙義山妙義坊、筑波山の筑波法印、日光隼人坊、相模最乗寺の道了尊、秋葉山三尺坊、羽黒山羽黒坊などが名を持つ天狗だ。ただし、これらは単一の天狗固有の名前というより、その山に居る天狗の集団名として見る方が良いのかも知れぬ。また、ここでは、役行者の使役神として有名な前鬼後鬼が天狗の類とされている。そうすると鬼と天狗や式神との境界はますます曖昧になってくるな。まあ、妖怪とはそんなものだ。 ここで、八大天狗第一位の愛宕山の太郎坊だが、この愛宕山における天狗信仰は古く、平安時代からその拠点であったと考えられている。このことを示すものに、保元の乱の遠因となったとされる噂である。それは左大臣藤原頼長が近衛天皇を呪詛したとの噂である。これによって鳥羽上皇・藤原忠通と藤原忠実・頼長の対立が生まれ、後の保元の乱へと繋がったというのだ。このような噂が流れたというのはどうも歴史的事実らしい。で、その頼長が行ったとされる呪法というのが、愛宕山の天公(=天狗)像の眼に釘を打ち込むというものであった。逆にこの頃、即ち保元の乱(西暦1156年)の頃までには既に天狗の像が愛宕山に祀られていたということが分かるのだ。ちなみに、この近衛天皇呪詛事件は、どうも玉藻前伝説つまり九尾の狐の伝説とも関わりを持つらしい。興味があるなら調べてみると面白いかもしれんぞ。 なお、鞍馬寺には、室町時代後期の著名な画家である狩野元信が描いたと伝えられる天狗の像が残されているという。これはときの将軍の夢に現れた鞍馬の大僧正の姿を写したもので、将軍の命により元信が描き、鞍馬寺に寄進されたものだという。その鼻高く嘴の尖った山伏姿の天狗は、今日のものとほとんど変わらない。一説には世間に流布した天狗像を創り出したのは、狩野元信その人であるという。 ところで、天狗と毘沙門天が習合してしまうのには少し背景があるのだ。毘沙門天は多聞天ともいう北方を守る四天王の一人だが、元々印度の鬼神なのだ。印度での名をヴァイシュラヴァーナ(Vaisravana)といい、その音訳が毘沙門天であり、意訳が多聞天であるのだ。またその別名はクベーラ(Kubera)というが、それは夜叉の王であり、又財宝の神でもあるという。印度ではむしろこのクベーラとしての神格の方が有名だったらしい。クベーラは夜叉を使役して鉱山で貴金属や宝石を採るという。武神たる毘沙門天が七福神としても祀られるのはこうした由来があるからなのだよ。で、この夜叉が本邦へ移入される過程で天狗と同一視されたのだ。だから天狗と毘沙門天との間には関係が生まれる訳だ。先程仏法を妨げる夜叉飛天と天狗との関わりについて言及したが、ここでもまた関係が表れてくるのだ。ちなみに印度の夜叉と習合したものの一つに狸がある。佐渡の団三郎狸が金山と関わりを持ち、財宝を持っているというのは、こうした夜叉達と日本の狸が同一視されたからと言うのだ。 さて、さらに厄介なのは飯縄三郎だ。飯縄山の修験者は飯縄の法と呼ばれる方術を駆使する事で知られているのだが、この飯縄の法とは荼吉尼天法とも称される外法である。これは荼吉尼天の眷属たる野干やら管狐を使役するとされる邪法である。この荼吉尼天と同体とされるのが先程も少し述べた飯縄権現なのだが、飯縄三郎はこの飯縄権現そのものであるともいう。先にも述べたように、飯縄権現は図像的に見ても荼吉尼天・不動明王・天狗が習合したものと考えられる。すると稲荷=狐=仏教の鬼神たる荼吉尼天=飯縄権現=飯縄三郎=天狗となる訳で、この辺りでは天狗への信仰が狐や稲荷信仰に接近してくる。管狐やイヅナともなると憑物の信仰とも関わり、極めて複雑怪奇な様相を示す訳だ。 ちなみに、飯縄権現は火伏せの神としても有名だ。信濃飯縄山をはじめ、静岡の秋葉山、武蔵高尾山などに祀られている。江戸府内秋葉原(あきばはら)の地名の語源となった秋葉神社の祭神もこの神と同体だぞ。 |
*** 折角だから、大天狗の名を列挙している『天狗経』(江戸時代頃か)を引用しておこうか。これは四国石鎚山修験系をひくものらしい。 「南無大天狗小天狗十二天狗有摩那天狗数万騎天狗、先ず大天狗には、愛宕山太郎坊、 比良山次郎坊、鞍馬山僧正坊、比叡山法性坊、横川覚海坊、富士山陀羅尼坊、日光山 東山坊、羽黒山金光坊、妙義山日光坊、常陸筑波法印、彦山豊前坊、大原住吉剣坊、 越中立山縄垂坊、天岩船壇特坊、奈良大久杉坂坊、熊野大峯菊丈坊、吉野皆杉小桜坊、 那智滝本前鬼坊、高野山高林坊、新田山佐徳坊、鬼界ヶ島伽藍坊、板遠山頓鈍坊、宰 府高垣高林坊、長門普明鬼宿坊、都度沖普賢坊、黒眷属金比羅坊、日向尾畑新蔵坊、 医王島光徳坊、紫黄山利久坊、伯耆大仙清光坊、石鎚山法起坊、如意ケ嶽薬師坊、天 満山三尺坊、厳島三鬼坊、白髪山高積坊、秋葉山三尺坊、高尾内供奉、飯縄三郎、上野 妙義坊、肥後阿闍梨、葛城高天坊、白峰相模坊、高良山筑後坊、象頭山金剛坊、笠置山 大僧正、妙高山足立坊、御嶽山六石坊、浅間ケ嶽金平坊、総じて十二万五千五百、所々 の天狗来臨影向、悪魔退散諸願成就、悉地円満随念擁護、怨敵降伏一切成就の加持、 おんあろまやてんぐすまんきそわか、おんひらひらけん、ひらけんのうそわか」 |
◎おまけの絵は「射命丸文」。
「私は真実を変える資格を持っているのかしら?」